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京都フランシスコの家

 坂本龍馬財団の設立記念大会が京都であり、そのお手伝いに行ったついでに、昨年10月、初めてイスラエルを訪問した時に一緒に旅をしたルカ・ホルスティング神父さまが館長を務める「京都フランシスコの家」に立ち寄ってきました。
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 京都フランシスコの家は、16世紀末の1597年に日本で初のキリスト教の殉教者となった26聖人発祥の地に建つ、一軒の古い町家。日本でのキリスト教史をたどる資料館として、またアシジの聖フランシスコの福音的な生き方を伝え、人種や宗教、老若男女を問わず、人々が憩える場所として、25年前から、ここ四条堀川で地道な活動を続けてこられた祈りの場所です。
 ここが26聖人発祥の地とされる根拠は、当時、この場所に広大な南蛮寺があったことに由来します。既に秀吉による禁教令が出されていた1593年、スペイン人のペトロ・バブチスタ神父以下4人のフランシスコ会士が、表向きは宣教師としてではなく、なんとルソン(フィリピン)の総督の最初の使節として日本に派遣されてきたのがその始まり。秀吉はバブチスタ神父たちと快く会い、京都妙満寺跡の広大な土地を与えたことから、神父たちは早速、ここに修道院を建て、一部をルソン使節館とするとともに、京都では初めての西洋式の病院を建てたのだそうです。その当時の想像図?が次の写真です。
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 上から全体を見て、何に見えますか? そう、十字架。横に長い部分は病院で、奥にはパティオのある入院施設もあり、神父らは京の町を走り回って、当時、誰からも見捨てられていたライ病(ハンセン氏病)患者や行き倒れている貧しい人らを連れて来ては、食べ物を与え、手厚い看護をしたそうです。そんなフランシスコ会士たちの姿に心を動かされ、多くの京の人々が洗礼を受け、教会の周りに移り住みます。いつしかそこは「だいうす町」(でうす=主が、だいうすになまったもの)と呼ばれるようになったそうです。
 しかし、1596年、わが土佐の浦戸に、航海中のスペイン船「サン・フェリペ号」が流れ着いたことで、日本の切支丹たちの運命は大きく変わります。この事件を機に、スペインが日本に宣教師を派遣したのは日本征服のためかと激怒した秀吉は、切支丹に対して、それまでの寛容策から一転、厳しい捕縛令を出し、その最初の殉教者に選ばれたのがバブチスタ神父はじめフランシスコ会やイエズス会の修道士と、日本人の信徒たち26人だったのです。
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 一行は京都で耳そぎの刑を受けた後、京都の目抜き通りを引き回され、その後、800キロにも及ぶ長い道のりを処刑地である長崎の西坂の丘まで歩きます。その中には、12歳のルドリゴ茨木少年や13歳のアントニオ、15歳のトマス小崎ら3人の少年もいました。彼らはお互いに励まし合って声高らかに賛美歌を歌いながら歩き、いちばん小さいルドリゴ少年の朗らかな笑顔はいつでもみんなの心の慰めになったといいます。‥こうやって書いているだけで辛い出来事ですが、すべて史実。1597年2月5日午前9時半ごろに一行は西坂に着き、お昼近くにはすべてが終わったそうです。以降、250年以上も日本でのキリスト教弾圧は続くのです。
 日本で初めて聖人となった26人の一人一人を描いた上の日本画「日本二十六聖人画」は画伯、岡山聖虚(1895〜1977)が1931年に掛け軸の形でローマ法王に献納したもの。当時のアールデコの特徴も見て取ることができる素晴らしい作品ですが、残念なことにバチカン美術館がおそらく倉庫の奥の奥?に所蔵しているため、本物は見ることができません。しかし、バチカンが絵を修復した時にそのデータを送ってもらうことができ、ここ京都フランシスコの家に、色鮮やかなレプリカを展示することがかなったのだそう。朱色の服を着て黄色や白の草花を手に持ったルドリゴ少年をはじめ、一人一人が幸せな表情で描かれた美しい絵を見ていると、彼らが心から神様のみもとに、パライソ(天国)に行くことを望んでいたんだろうな‥と思うと同時に、なんでこんなにもいたいけな少年がそんな仕打ちに遭わねばならなかったのだろう‥というやりきれない思いで胸が締め付けられました。複製とは言え、日本でこの絵が見られるのはここだけだそうですから、カトリック信者でない方でも一見の価値ありです。
 このほかにも、このフランシスコの家には切支丹史を知る上で貴重な資料がたくさんあります。例えば、下の鏡。青銅製?で裏にはきれいな細工がなされた、どっから見ても綺麗な普通の鏡です。
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 それが不思議、不思議!! 強い光を当てるとほら、反射した壁に、十字架と祈る人の姿がうっすらと浮かび上がってくるのです。暗い洞窟の中などで一カ所太陽の強烈な光を当てることができるような位置でこの鏡を持ち、礼拝を捧げてきたのでしょうか。秘かに信仰を守り続けてきた切支丹の苦労がしのばれます。それにしてもこの鏡の二重構造は高度な技術を必要とするもので、昭和48年にやっと京都の鏡師が水銀の流し込み方などを工夫し、再現することに成功したそうです。
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 ほかにもたくさんありますが、次の、よく教科書にも出て来る有名なフランシスコ・ザビエルの絵は、大正8年に茨木市の山中の民家で発見されたのが初めてだそうで、九州の切支丹よりも長く、何世代にもわたって隠れていた熱心な切支丹が関西地方には多くいたのではないか、という説もあるそうです。
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 家の奥には畳敷きの和室のお御堂も。よく茶道はミサに通ずるところがあると言われますが、ここではルカ神父さまが厳かにミサをたてられます。床の間に飾られている十字架の掛け軸は、近づいてよく見ると、そう、「愛」という一文字を表しています。キリストの愛を一筆でうまく表現した素晴らしい絵に感動しました。
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         ◇         ◇        ◇        ◇
 ルカ神父さまは週の前半は大阪の生野教会にいらっしゃるということで、フランシスコの家を見学させてもらった前日の夜は教会を訪ね、晩ご飯をご一緒し、夜はゲストルームに泊めていただきました。ルカ神父さまはじめ、早朝のミサの帰り、駅まで一緒に歩いてくれた生野教会の信者の方、それに、休館日なのにわざわざ開けてくれて丁寧に解説してくださったフランシスコの家の方々、本当にありがとうございました。
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 ↑京都のフランシスコの家に行く私をバス停まで見送ってくれたルカ神父さまと。
 みなさんもぜひぜひ、京都にお寄りの際は、「京都フランシスコの家(切支丹の庵)」を訪ねてみられてください。
  
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by hirotomo0301 | 2012-04-25 22:10

21年間続けた一地方紙の記者の仕事から足を洗い、2カ月半の世界13カ国周遊1人旅から帰ってはや半年。過去の日々を振り返りつつ、次の一歩を模索していきます。


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