哀しき花園。被災地にて‥
これほど美しい鳥のさえずりを聞こうとは思いませんでした。耳を澄まさずとも、何種類もの鳥の声がなだらかに続く緑の森のどこからか青空に向かって響きわたってくるのです。足下には赤やピンクのポピーやルピナス、それに紫や黄色の花菖蒲、そして真っ白いマーガレットやクローバー、ハルジオンまで、ありとあらゆる花々が色とりどりに咲き乱れ、その美しさたるや‥。人の手が入らないことで、花々が咲くべきときに咲くことを謳歌しているように思えました。
しかし‥。ここは決して秘密の花園でも、鳥たちの楽園でもありません。あの大震災、そして原発事故で今も6000人あまりの全村民が避難を強いられている福島の飯館村の、誰も人のいなくなった、いわば捨て置かれざるを得ない状況にある山里なのです。当初、この辺りは原発から30キロ圏外ということで、もっと原発に近いところに住む人たちが多く避難して来ていました。しかし、風向きなどから、原発の30キロ圏内よりもむしろ、こちらの方が線量は遥かに高く、人が住める状況ではないことが分かったのです。今は一時に比べ、少しずつ線量は落ちているようですが、草を刈り、その下の土をはぐという除染作業はやってもやってもまた草が生えてきてとてもおっつくはずもなく、風が吹けば山林から放射性物質が飛んで来てまた線量が上がる繰り返しで、人々が村に帰れるめどは全くたっていません。そんな中でも季節は巡り、花や鳥や木々は生命の息吹をともし続けていることに希望を抱くと同時に、なんだか言いようもなく切ない、悲哀を感じざるを得ませんでした。
上の写真。花菖蒲の後方にあるカメラのようなものは放射線量を測定する装置です。こうした風景の中を、私も携帯の測定器の値を見ながらレンタカーを走らせました。昨年は場所によっては100〜200シーベルトなんていう“ホットスポット”もあちこちにあったようですが、今は多くても8〜9シーベルトぐらいでとりあえずは落ち着いていました。
それでも、ここから先は線量がまだまだ高く立ち入り禁止というところには機動隊の方などが警戒に当たっており、もちろん入ることはできません。
村には狭い道沿いに古くからの民家が点在していますが、どの家もきっちりとカーテンが閉ざされ、もちろん人の気配は全く感じられません。中には硝子窓いっぱいに殴り書きをしたような張り紙を貼っている家もありました。下の写真がそれです。一時帰宅されたときに書かれたものと思いますが、せいいっぱいのヤジを、ブラックジョークを張り出すことで、持って行き場のない怒りをぶつけるしかない、村民の気持ちを代弁しているように思いました。当事者の方々が現実に突きつけられている葛藤、逃れようのない苦しみを前にしては、部外者には何も言う言葉が見当たりません。誰も創造もしなかった大震災は起こってしまい、それによって引き起こされた原発事故は、そこに住む人たちの人生を根底から変えてしまいました。遠く離れた四国に住む私たちでさえ、震災ですべてが変わってしまったように感じるのに、ここで生きてきた人たちが乗り越えなけれなならない困難はどれほどのものか。ここの人たちにとって、震災が遠い日のことになることは決してないのだということを、恥ずかしながら、現地に行ってこの目で見ることで、あらためて痛感しました。
◇ ◇
原発があるのは上の写真の、ちょうど右上の雲の下辺りということです。そこからさらに車を走らせ、つい最近、立ち入り禁止が解除になったばかりという原発から20キロ圏内の南相馬市の海岸線にも行ってみました。
轟音をたてて砕け散る白波。遠くに台風があるせいかもしれませんが、土佐沖と同じ、太平洋だとは思えないほどの荒波でした。この海があの日、この原発近くの村にも大津波となって押し寄せたのです。
最近まで立ち入り禁止だったため、惨状はほぼ手つかずの状態で広がっています。
そして、こんな悲しい場所も。いつ供えられたのか簡素な花束とすぐ傍にはワンカップの空き瓶も。突如奪われた幾千もの尊い命‥。ここで最期を迎えた方の魂が心安らかに憩わんことを、残された家族ととこしえにともにあることを祈って、手を合わさせていただきました。
周辺はもともと湿地帯だったこともあってか、いまだに津波の水が引いていないと思われる地域もありました。今までさんざん映像や写真で見てきたけれど、実際に目にすると、この目の前の光景をなんと表現すればよいのか瞬間、言葉を失いました。あの日、テレビでライブで見て、まるで今まさに日本の地形が変動しているかのように感じたことがまざまざと思い出されました。むろん、忘れようにも忘れられない光景ですが、きょう、実際に見た、この現実の悲劇を一生忘れないように、目に焼き付けていようと思います。
最後に、あの日以来、運行を休止している常磐線。線路は草で埋もれています。簡単にはいかない難しい問題が山積しており、実現は難しいのかもしれませんが、やはり、いつの日か、福島の人たちに、以前の、平和な、普通の日常が戻ってくることを願わざるにはおれません。
by hirotomo0301
| 2012-06-07 23:15