my very precious days ーHIROSUE TOMOKO

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デルちゃんを追って

アメリカ、そしてヨーロッパ旅行まであと2週間を切り、毎日ばたばたと過ごしています。このところは旅の最大の目的であるデルちゃん(土佐義和神父さま)の故郷、ベルギーでの体験を実り多いものにするため、彼の生い立ちから、やがて日本へと渡るまでの足跡をたどる作業をしています。
 基にしているのは、デルちゃん自身が自分の半生について書き残した9冊の回顧録。得意のリノリウム作品をふんだんに用いて、生まれ育ったコルトレイクの風景や、神学校時代を過ごしたツルンハウト、そして高知の風景を鮮明に描くとともに、ぎっしりと文章が書き込まれています。ただし、私にとっての難点は、その文字が、フラマン語(オランダ語の一方言のようなもののようです)であること。彼は、それを日本語で書き、「日本の、高知の、中でもキリスト教徒でもない普通の人々」に読んでもらいたかったようですが、高齢になってから書き始めたこともあり、やはり、いちばん書きやすいのはフラマン語だったようなのです。
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 しかし、助けてくれる人を神様は見つけてくれました。5月に東京で出会ったベルギー人のゴーセンス神父様もそうですが(彼が突然訪ねて行った見知らぬ私のために、9冊をその場で読んでくださったお陰で、9冊目の最後の最後に私のことがいっぱい書かれていること、デルちゃんがいかに私と娘のことを心配していてくれていたか‥が分かったのです!)、その後、なんと足下の高知県立大にベルギー人のジョエル・ヨース准教授が本の翻訳に全面的に協力してくださることになり、私の旅に合わせて、今、4冊目までをICレコーダーに日本語で吹き込んでくれたところなのです。で、私はと言えば、毎日、そのテープ起こしに励んでいるというわけです。
  最初の方、コルトレイクでの少年時代を綴った文章を聞いていると、まるで、ライフイズビューティフルやニューシネマパラダイスのような、第2次世界大戦前後のヨーロッパの子どもたちを取り巻く風景を描いた映画を見ているよう。ペンキ屋さんを営むお父さんと、裁縫や料理が得意なお母さんの間に生まれたやんちゃな9人きょうだい。その真ん中がデルちゃんで、豊かな愛情に包まれたとても幸せな少年時代を過ごしたことが、たくさんのエピソードから伝わってきました。
 そして戦争中だった学生時代を終え、やがて神父となって、日本への布教を決意するまでの気持ちの変化。さらに、高知に来てからの、神父としての活動と、1人の人間として生きていくこととの葛藤‥。いまやっと、そのあたりまで読み進めたところです。
 
 そんな中、今日は夜須まで行く用事があったついでに、安芸まで足を延ばしてきました。というのも、デルちゃんの宣教師としての最初の赴任地が安芸のカトリック教会だったのです。本には、50年前、とても小さな漁業の町だった安芸で、彼が初めて、日本の被差別部落の問題に行き当たり、そして、そこでの暮らしにもっと溶け込み、人々の気持ちを理解したいと願った気持ちが綴られていました。そのために、彼は教会のすぐ前にあった、安芸中学校に生徒として通い、いろんな生徒や先生たちと交流して、ちゃんと卒業証書も手にします。今では、考えられないことが、その当時はできたんですね‥。
 
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私が安芸の教会を訪ねたのは今日が初めて。デルちゃんの本にあった通り、海沿いの道を探していると、すぐに分かりました。小さいながらもちゃんと塔のある、赤い屋根の教会。こんな素敵な教会が、安芸の海沿いにひっそりとあるとは恥ずかしながら今まで知りませんでした。当時はきっと周りも木造の古い家ばかりだったことでしょう。ここで、デルちゃんも、そして、来月、ベルギーに私が行った時、いろいろとお世話していただくことになっているデフロイト神父さまも、日本での布教活動をスタートされたのです。
デルちゃんの本によると、安芸に来て最初の年に、初めての台風を体験し、それがどんなものなのか五感で感じ取りたくて、すさまじい風雨の中をすぐ近くの堤防まで歩いていったそう。後で台風の時に外に行ってはいけない、と近所の人からも強く言われたようで、以来、「(私が)台風好きだっていうのは、人には言わないようにしてる」とユーモアたっぷりに書いていました。最後に、その時、デルちゃんが眺めたであろう近くの海(今日はとっても穏やかでしたが‥)の風景も載せますね。人気ブログランキングへ
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by hirotomo0301 | 2011-09-25 20:13

再び森林浴

 先週に続いて、高知の森林の恵みを体いっぱいに浴びてきました。
数年前に取材で知り合い、私のことをこれまでずっと温かく見守ってきてくださったご夫妻にお昼でもと誘っていただいていたのですが、なんと旧鏡村の奥深いところにある知る人ぞ知る隠れ家風のお店まで連れて行ってくださったのです。
今のように高知駅周辺がリニューアルされる前、何十年もの間、日赤通り沿いで時計店を営まれていたご夫妻は、2人そろって大の写真好き。腕前はプロ級で、回心の一作を撮るために、県内の野山はほとんど?制覇しておられるほどで、高知市近郊をドライブしていた際、偶然に見つけたこのお店に、私を連れていってあげたい、と思ってくださったようでした。
車が鏡川沿いの山道に入るとすぐに、今まで走っていた同じ高知市とは思えない景色が広がります。今朝方まで断続的に降り続いた雨で、川はものすごい水量。しかし、濁流ではなく、その水はどこまでも透明。白い水しぶきを激しく立ち上げながら、下っていきます。その川沿いをひたすら上流へ。途中の山肌にはあちこちで、彼岸花が固まって咲いています。きっとどこからか種が運ばれてきて咲いた自生の彼岸花でしょうか。田んぼのあぜ道などに一列に咲く彼岸花とはまたひとあじ違う赤い花弁が雨に濡れてより鮮やかに見えました。
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そして、着いたお店は、小さなログハウス、「癒しの喫茶 木楽屋」さん(土日のみ営業、088ー896ー2688)。もちろん、「なごみのカフェブック」などにも載っていない穴場です。アメゴの塩焼きにいたどりやこんにゃくの煮物、茗荷の天ぷらなど土佐の食材をふんだんに使ったヘルシーなランチをいただき、食後には、その場でお客さんが豆からひき、アルコールランプで沸かしたお湯でたてる懐かしい昔ながらの本物のコーヒーを味わいました。
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帰りの山沿いには、少し終わりかけでしたが、下を向いた紫色の小さな花が可憐なイワタバコ(葉っぱがタバコの葉に似ているのでその名前がついたようです)や、ピンクの名前がよく分からない花々も。日曜日の午後のひととき、高知市からほんの少しの山中で、日々の喧噪を忘れさせてくれる風景と、優しいご夫妻の心遣いに、心の底から癒されました。
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戸田武男さん、香代子さん、本当にありがとうございます。これからもいつまでもおしどり夫婦でいてくださいね。
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最後に、平家の谷の動画を。こんなにすごい量の水がこれほどの勢いで落ちてくる滝を目の当たりにしたのは人生で初めてでした。この映像を見ながら水音を聞けば、しばし、心が落ち着くこと間違いなしです! と思ったのですが、やっぱり動画はアップロードできないようです。残念。しょうがないので写真を載せますね。人気ブログランキングへ
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by hirotomo0301 | 2011-09-18 17:17

一夏の花々

まだまだ残暑は厳しいですけれど‥。いろんな意味で、人生初めてのことが多かった今年の夏も静かに終わろうとしています。
 日々せわしなく、立ち働いていた昨年までは、季節の変わり目をそんなに意識することもなかったように思うのですが、今年はやっぱり少し感受性が強くなっているのかな。道を歩いていると、夏の盛りをきれいに、一生懸命に咲き続けてきて、今、力尽きてその使命を終えようとしている花々に、つい目が向きました。「ごらんよ空の鳥、野の白百合を。蒔きもせず、紡ぎもせずに安らかに生きる‥」という聖歌がいちばん好きな私だからでしょうか。
 例えば、ユーミンの「カンナ8号線」の歌でも有名な、夏の花の代名詞のような、カンナ。ほんとのことをいうとあまり好きな花ではないのですが、秋を目前に“花勢”を失い、首を垂れて、ところどころ茶色く変色しかけている姿に、「そうか。この花はこの夏、一生懸命に咲いてきたんだな」としみじみ思いました。ほかにも終わりかけのおしろい花や、夏草の中でひっそりとしおれゆく白いユリなど。どの花ももともとは小さな種だったのがやがて芽を出し、茎が伸び、そして大きな花を咲かせて、またひっそりと土にかえっていくのですね。もちろん新しい世代に種を託して。a0230008_2153990.jpg
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道端の良心市の花だけは、夕方にもかかわらず、シャキッとバケツに入って可憐な薄紫色の小さな花びらをしっかりと上に向けて咲いていました。
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最後に、一宮辺りの橋(何橋というのでしょうか‥)から見た、久万川の夕景です。
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by hirotomo0301 | 2011-09-15 21:28

マザーテレサの娘さん

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「マザーテレサの娘さん」と言うと、なんだか変な感じですが、先週の日曜日、中島町教会で「マザーテレサの子と呼ばれて」という本を出版されている工藤朋子さんという素敵な女性にお会いすることができました。
 工藤さんは元歌手で、昔々はお家に藤圭子が宇多田ヒカルを連れて遊びに来て、朝まで麻雀をしたり‥という破天荒な生活をしていたのだそうです。3歳でお母様に捨てられる(そう思い込まれたのでしょうが‥)など、小さいときから、さまざまな苦労をなされて、「5度も自殺未遂を謀ったことがあるの」。今でこそ明るくおっしゃられますが、1988年、インドのカルカッタで、あのマザーテレサと出会ったことで、生き方が180度変わったようです。
 当時、80歳近くのとても小さいおばあさんで、象のような優しい目を持ったマザーに、頭に手を置いてもらい「God bless you」と祝福を受けた途端、工藤さんは、思わず、小さな子どものようになって、「マザー、マザー、お母さん!」とマザーテレサにしがみつき、一緒にいた実の娘さんと二人で声をあげて泣いたのだそう。そんな工藤さん母娘をマザーはしっかりと抱きしめ、「悲しい事があったら、ここに帰ってきなさい。ここは貴方たちの家だから」と言ったそうです。
 それから母娘2人のインド通いが始まり(もちろんマザーの関連施設でのボランティア活動のために)、何年か後には、ちょっと普通なら考えられないことなのですが、2人はあのマザーに“代母”(
カトリックの洗礼を受ける時に証人として必要な、宗教的な保護者)になってもらって、洗礼を受けます。そうした彼女の生きてきた道、そしてマザーへの変わらぬ思慕を綴ったのが「マザーテレサの子と呼ばれて」という本です。
 マザーも工藤さんもクリスチャンネイムはテレサ。テレサは英語で、フランス語ではテレーズ、スペイン語ではテレジアと発音し、いずれも、1873年、フランスのリジューに生まれた「小さき花の聖テレジア」と呼ばれる聖女にちなんでいます。何を隠そう、私も洗礼名はテレジアで、「ともこ」という名前も工藤さんと同じ。「この機会に、ぜひお会いしたら」とある方に勧めていただいて、お話することができたのですが、またもや(仕事を辞める前後の、この半年間に数々のそういうことがあったので‥)、カトリックでいうところの聖霊の導きとしか思えないような、不思議なご縁を感じました。写真はちょっと恥ずかしいですが、退職後急速にぷっくりとしてしまった私(右)と、優しい笑顔の工藤さんです。ちょうど教会の前の司祭館にマザーテレサの写真と言葉が飾られていたのでその前で撮らせていただきました。時にはやっぱり、記念写真も想い出になっていいものですね。
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by hirotomo0301 | 2011-09-15 08:00

優雅な山荘の夜

 梼原の木で家を造るプロジェクトを進めている企業の社長さんにお招きを受け、この企業が香南市香我美町の山深い場所に持っているとっても優雅な山荘で夕べの一時を過ごさせていただきました。
元はみかん畑の山を丸ごと買い受けて整備されたそう。山荘は、緑の果樹に囲まれた中を白い石を敷き詰めた道の先にあり、ここはほんとに高知? もしかしてフランス? と思ってしまうような素敵〜な場所でした。
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 もちろんすべて梼原の木々で造られた山荘は、大きなキッチン(男の人が料理をして、女性たちは食べる係‥になることを想定しているそうです)のそばに、大きなダイニングテーブルが置かれ、木組みとおしゃれな家具がシックに調和していて、ただそこに居るだけでうっとりするような空間。テラスに出れば、近くには山々の緑、遠くには太平洋が望める絶景が広がり、本当に、私のような一失業者がこんなぜいたくな場所に招いていただけるなんて、いいのだろうか‥と、少し、申し訳ないような気持ちになりました。a0230008_9234376.jpga0230008_923568.jpg 
さらに、なんと贅沢なことに、専属のシェフの方が腕を振るってくださった料理の数々が次々と食卓に並び、私はひたすら、「ハァ〜ッ」と感嘆するしかなく‥。松茸にかにに、土佐赤牛に‥と生まれて初めていただくようなごちそうを、同じく招待された建築家の方々とともに心ゆくまで味あわせていただきました。合間には、地元育ちの私たちにとっては、なかなかやってみる機会のなかった、かつおのたたきの藁焼きに挑戦させていただくという心憎い演出も。a0230008_9365281.jpga0230008_9341716.jpg
ワインや日本酒ですっかり夢見心地の私たち。最後はみんなでテラスに出て、山の稜線に浮かぶ満月をゆっくりと時間をかけて眺め、「高知で暮らすって、ぜいたくなことながやなあ‥」としみじみと語り合いました。
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この山荘は、県外や外国の方々をお招きし、高知の良さを実感してもらうために特別に造られたゲストハウスですから、とっても贅沢なのは当たり前なのですけど、それでもこんなに優雅な場所でなくとも、海山の大自然に囲まれ、夜は星や月明かりに照らされて眠ることのできる、そして美味しいものがいっぱいいっぱいある高知は全国でも有数の、幸せに暮らせる県だと思います。そのことを実感することができて、前日に引き続き、とっても幸せな夜でした。人気ブログランキングへ
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by hirotomo0301 | 2011-09-13 09:51

森の可能性

自分自身が斧を入れ、目の前でズッシン‥と倒れていくのを見守ったその木で造られた家に住むーー。
 昨今、車と同じ感覚で「家を買う」人が多い中、家を建てる人(施主さん)自身が、いちばん初めの木を伐採する段階から家造りに参加することで「自分の家がこれからこの木で造られるんだ」という感慨を新たにしてもらう‥というプロジェクトをとある県内企業が進めています。84%が森林の高知ならではの取り組み。その伐採の瞬間にひょんなことから立ち会わせてもらう機会に恵まれました。
向かったのは、最近では龍馬脱藩の道で人気の、梼原町の山中です。
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 集まったのは、施主さんと、家の建築を請け負った企業のスタッフ、そしてこれからその家造りにかかわることになるかもしれない建築家ら。斧を入れるのは、高さ25メートル、天空に向かって凛とまっすぐに伸びた樹齢50年のヒノキです。初めに、森林組合の代表の方が「山の神様、そして木の精霊、50年間、この土地でこの木を立派に育てていただいてほんとうにありがとうございます」とお酒を供えて一礼し、その「神酒(みき)」を木の根もとに掛けてから、施主さんがこわごわ?斧を振り下ろしました。
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続いて森林組合の方がチェーンソーを入れ、「さあ、みなさん、どちらの方角に倒れるか分かりませんから、気をつけてくださいよ」と一声。すると、50年間、この地ですくすくと育ったこの木は、まるで、「これで終わりじゃない。さあやっと、これからが僕の人生(木生?)の始まりさ」と言わんばかりに、いさぎよく、ズシーンッと音を立てて倒れていきました。本当に、あっと言う間の出来事。動画に撮れば良かった、と思いましたが、後の祭りでした。
無事に神事を終えた後は、みんなで森林組合の工場へ。今、伐った木がこれからどういうふうに家の柱材になっていくのか、その過程をじっくりと見学させてもらいました。a0230008_21144131.jpga0230008_21105739.jpg
まさにバウムクーヘンのような、丸太の断面は、真ん中のピンクの部分が心材で、強度に限っては、その周りの白い部分の方が強いようです。そのため、その木をどこの柱に使うかによって、木の加工も違ってくるのだそうです。森林工場見学は初めての私ですが、とても勉強になりました。梼原のこの工場は、環境問題が今ほどかまびすしく言われる前から、持続可能な森林資源の生産と木材の付加価値を高めるための「森林認証制度(FSC)」を取得していたそう。こうした工場と、単に家を売るだけの商売をしていない企業とが一緒に取り組み、本当に梼原の木を愛する施主さんを育てていくことで、高知の森林産業の可能性はまだまだ広がるのではないかと感じました。
40代の施主さんは、70代のお母様が古い家の階段で転んで入院したのを機に「本気で家を建てよう」と決心されたと言います。自分の家の大黒柱となる木に自らの手で最初に斧を入れたときは、「何とも言えない、不思議な気持ち」がしたそうで、工場を見学した後は、「自分の家を建てるんだ、という実感がやっと湧いてきた」ととてもいい表情で話されていました。
最後に、施主さんと建築家の方々と、脱藩の道のたもとにある三嶋神社へ。境内にある樹齢400年のハリモミや、梼原の名前のもととなった梼の木をじっくりと眺めて帰りました。
高知の、梼原の、森林を思う存分満喫した1日でした。人気ブログランキングへ
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by hirotomo0301 | 2011-09-12 21:55

七の七十倍までも

    「七の七十倍までも赦しなさい。」
   マタイによる福音の18章21節から35節までに書かれているJesus Christのメッセージです。
今晩、久しぶりに教会の御言葉クラスに参加したところ、ちょうどその箇所が取り上げられていました。使徒ペトロがイエスのところに来て、「主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯したなら、何回赦すべきでしょうか。七回までですか」と問います。それに対して、イエスは「あなたに言っておく。七回どころか七の七十倍までも赦しなさい。」と。
  解説してくださった神父さまによると、七という数字は、full numberで、「これ以上はない」という意味が込められているのだそうです。日本では、「仏の顔も三度まで」とか言われますが、やはり七という数字は全世界共通に、他の数字とは違う特別な扱いを受けているようにも思います。
イエスの言われた「七回どころか七の七十倍までも赦しなさい」という言葉の意味は、もちろん、四百九十回までというのではなく、赦しの概念は、数えられるものではなく、無制限だということ。そしてこの節は、「あなたがたの一人一人が、心から兄弟を赦さないなら、わたしの天の父もあなたがたに同じようになさるだろう」と締めくくられています。
  
   「赦し」‥。カトリックでは、七つの秘跡の中にも数えられる重要なテーマですが、私にとってはいちばん難しい課題です。今の私は、この半年間ぐらいにあったいろいろなことを、それに関わった人たちのことを、はじめは怒りもあったし、深く傷つきもしたけれども、今ではすべて赦す気持ちになっています。だからこそ、今、厳しくとも新しい道を進もうとしています。でも、逆に、彼らが私のことを赦してくれない。友達であった人さえも離れていってしまった‥。そのことを考えると、苦しくなります。それはやはり、根本的に、私自身が「自分は何も悪いことをしていない」と思っているし(それは本当にそうですから)、だからこそ、彼らを赦しているといいながら、本音の部分ではどうしても赦せていないからなのか‥。とか、もうそんなことは忘れればいいのに、つい、いろんな瞬間に思い出し、頭がぐるぐる回ります。良くないですね‥。
 でもやっぱり、それも仕方ない。そういう性格なのだから。それに、そうした人たちのことを考え続けることも大事なのではないか、と今日の講義を聞いていて、感じました。

  最初に私が朗読させられた?「シラ書(シラ27・30〜28・7)」は、読んでいて考えさせられたので、自分への戒め?のために、全文を書き留めておきたいと思います。

   憤りと怒り、これはひどく忌まわしい。
   罪人にはこの両方が付きまとう。
   復讐する者は、主から復讐を受ける。
   主はその罪を決して忘れることはない。
   隣人から受けた不正を赦せ。そうすれば、
   願い求めるとき、お前の罪は赦される。
   人が互いに怒りを抱き合っていながら、
   どうして主からいやしを期待できようか。
   自分と同じ人間に憐れみをかけずにいて、
   どうして自分の罪の赦しを願いえようか。
   弱い人間にすぎない者が、憤りを抱き続けるならば、
   いったい誰が彼の罪を赦すことができようか。
   自分の最期に心を致し、敵意を捨てよ。
   滅びゆく定めと死とを思い、掟を守れ。
   掟を忘れず、隣人に対して怒りを抱くな。
   いと高き方の契約を忘れず、他人のおちどには寛容であれ。

   特に、今の私には、「弱い人間にすぎない者が、憤りを抱き続けるならば、いったい誰が彼(彼女)の罪を赦すことができようか」というところが、グサっときました。
 でも、悩む私に、同じく講座に参加していた人たちは、「そういう時は、ひたすら、神様に、イエズス様に、マリア様にゆだねる。私の心に平穏をお与えくださいと祈ること」とアドバイスを与えてくれました。そうしようと思います。
自分の内面を書いてしまい、長くなってすみません。人気ブログランキングへa0230008_22212244.jpg
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by hirotomo0301 | 2011-09-07 22:26

秋の初めの日曜市

 
 初めに、台風12号では、高知県は台風の目に入ったおかげか、幸いなことに被害は少なかったですが、紀伊半島では豪雨により多大な被害が出たようで、心からお見舞い申し上げます。大震災に続き、台風に寄る大災害‥。今年は日本各地で、私たち人類に対して苦しい試練が続いています。
  そんな中ですが、今日の高知市は雲は多いものの、まあまあの晴天で、母校での文化祭を見に行ったついでに、私の足はついつい自然と日曜市へ‥。
 
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まず食べたのは、やっぱり、焼き鳥(もちろん私が頼むのは皮です)、そして日曜市一番の名物、芋天。ダイエットなどという言葉はどこへやら。年に何回も行かないからこそ、前をただ通り過ぎるのは無理なんですよね。
そして、ぶらぶら歩いていると、ついつい写真に撮りたくなるものがいっぱい。県外の人なら、思わず手に取りたくなるだろう、高知ならではの真っ赤なトマトたち。野草のお茶もたくさんの種類が並びます。
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さらに、この日は秋を感じさせる一品がたくさんありました。中でも、こんなん売りゆうがや?!ってびっくりしたのがこれ!
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超気持ち悪いのですが、なんと「美しい音色、鈴虫」と張り紙が‥。買う人おるがかなあ‥。
ほかにも、ほおずきや、ツガニなどたくさんの土佐の秋が売られていました。400年以上(でいいんでしたっけ?詳しいことを忘れてしまってごめんなさい)、日曜市が平和に続いているということは、本当にすごいこと。海、山の豊かな実りを実感できて、高知の人は幸せですね。a0230008_20521984.jpga0230008_2051522.jpg人気ブログランキングへ
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by hirotomo0301 | 2011-09-04 21:21

母校の文化祭

 最近、お友達になったとっても可愛い後輩(といっても、うちの娘よりも1つ下の女の子ですが‥)のお誘いを受け、時計台下の母校、追手前高校の文化祭に行ってきました。a0230008_18213866.jpg
テーマは何々?「追手前合戦 学園祭の陣〜校舎改築との戦い〜」?
そうかぁ、何やら少し物騒なテーマですが、あの、ほんの、この前まであった、私たちが通っていたころには既におんぼろだった食堂兼体育館が取り壊し工事の真っ最中だったのですね。耐震補強のため仕方がないとはいえ、残念。あそこで嫌ーな創作ダンスを踊ったり、昼休みにはパンを買いに走ったりしたのですが‥。取り壊しといえば、私たちのころは、あの、追手前の象徴とも言える蔦の絡まる講堂がついに取り壊されることとなり、当時、所属していた吹奏楽部のみんなで日々形がなくなっていく講堂を横目に、なんとも言えない思いで合奏していたのを思い出します。あのころも戦えばよかったんでしょうか‥。
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 さて、肝心の文化祭の中身はといえば、文化祭というよりは“ミニミニ映画祭”の赴き。最近はどのクラスも短い映画を作成するのに凝っているようで。やはり、そのための機器がたくさんあるからでしょうか。でも、ごめんなさい。おばさんの先輩は一つも見るきがしなかったのでした‥。その代わりにやっぱり、懐かしい校舎のあちこちを散策してきました。中には入れなかったけれど、昔とあまり変わらない図書室や、階段の踊り場にある古い手洗い場‥。確か横に置いてある水飲み機も当時からあったように思います。懐かしの3-4ホームの場所も昔と同じような‥。a0230008_18462627.jpg
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そして、最後にかわいい後輩の愛ちゃんが“席主”を務めるお茶会に参加してきました。私はお茶席の作法もよく分からないのに、一番いい席で、愛ちゃん以上にド緊張‥(汗)。でも、彼女の説明してくれた、お茶の心を伝えたい=「和心橋」という言葉を味わいながら、おいしいお茶菓子とお抹茶をいただくことができました。愛ちゃん、文化祭に誘ってくれてありがとう。
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by hirotomo0301 | 2011-09-04 18:56

WHY RYOMA NOW?

いよいよ10月の龍馬記念館20周年企画アメリカ横断?ツアーに向けて、ハワイ、ニューヨークで開催予定のフォーラムのリハーサルがありました。
ツアーの趣旨は、幕末の混迷期に、私利私欲からではなく日本の未来のために命を賭けて行動した龍馬が、理想の民主主義国家として憧れを募らせたにもかかわらず、結局、その地を踏むことのなかったアメリカに、龍馬の死後144年経った今、龍馬や勝海舟、そしてジョン万次郎の子孫らとともに、高知の高校生らがわたり、龍馬の残したメッセージを伝えよう‥というもの。県立龍馬記念館の3年越しの企画ですが、そこに起きた、あの、3・11の大震災がフォーラムのテーマをより強固なものとしました。タイトルは「WHY RYOMA NOW」。「今こそ、龍馬の精神に立ち返り、日本が、アメリカが、とそれぞれの国の事情で物事を発想するのではなく、一人一人の命の大切さについて“地球規模”で考えよう」(手元に資料がなかったこともあり、原文とはだいぶ違うと思います。すいません)と熱く語る森館長の言葉を聞いていると、国家や人種の違いは言わずもがな、宗教や価値感の違いを超えて、お互いに腹を割って本音で話すことで、新しく見えてくるものがあるのじゃないか、それは大きな流れにつながるんじゃないか
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‥と私も思いました。今日のりハーサルの内容をベースに、その時々の会場の雰囲気の中で、それぞれのパネリストの皆さんが自由に思い切って発言されることで、英語か、日本語か、という言語の違いなど問題なく、アメリカの聴衆の皆さんにも十分に思いが伝わるのではないでしょうか。会場で、どんな質疑が飛び出すか、とても楽しみになりました。
関係者の皆さん、あと一カ月、頑張ってください。行きがかり上、ついていくことになった私も、単なる傍観者であることがないよう、何らかのお役に立ちたいと思います。人気ブログランキングへ
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by hirotomo0301 | 2011-09-04 18:02

21年間続けた一地方紙の記者の仕事から足を洗い、2カ月半の世界13カ国周遊1人旅から帰ってはや半年。過去の日々を振り返りつつ、次の一歩を模索していきます。


by hirotomo0301
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