my very precious days ーHIROSUE TOMOKO

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恵みあふれる聖マリア

 長旅の最後に、時間があるのならぜひ行ってみて、というベルギーの方のお勧めで、パリから帰国するフライトの直前、Chapelle Norte Dame de la Madaille Miraculeuseという教会を訪ねてきました。日本名は「不思議のメダイの教会」。1830年にカタリナ・ラブレというシスターの前に現れた聖母マリアが「このモデルに従ってメダイを作らせなさい」と言われ、信頼をもってそれを身につけた人々にさまざまな奇跡が起きたことから、そう呼ばれるようになったといういわれのある場所です。
 パリのメトロ、セーブルバビロンの駅から5分でボン・マルシェという老舗デパートの少し先、と聞いて行ったのですが、前日までの疲れとパリのメトロの複雑さにお手上げになり、最後にはついにタクシーに乗ってしまいました。
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 やっと着いた教会は狭い通りの奥まった場所にあって、入り口からのぞくとこんな感じ。白い壁の外観はそんなに荘厳というのでもなく、むしろ質素なたたずまい。お聖堂(みどう)に入るまでの道には壁画や白い像が幾つか静かに置かれていました。
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 そして、中に足を一歩踏み入れると‥。薄いブルーとゴールドで、こんなにシックな美しさのあるお聖堂があったのかとびっくりするほどきれい。ちょうど、ミサではないと思いますが、マリア様にロザリオの祈りを捧げているようで、クリスマスの直後だからか人がいっぱい。私には今や聞き慣れたフランス語のお祈りをみんなで歌っていました。
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 祭壇の左手には聖女カタリナが静かに眠り(聖テレジアやベルナデッタもそうですが、聖女の遺体は腐敗しないのです‥)、右側にはまだクリスマスの馬小屋がこれも質素に飾られていました。
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 まだベツレヘムショックを引きずっていた私ですが、真っ白いマリア様の像を見上げていると深い感慨が。私の今回の旅は、デルちゃんはもちろんそうですが、もっと遡れば、昨年、ルルドの巡礼に初めて行ったのがきっかけとも言えます。デルちゃんが、自叙伝の中で「もしも聖母マリアの奇跡があるとしたら、智子に笑顔を戻してほしい」と書いてくれていたように、マリア様に導かれて今の私があります。去年の今ごろと比べても、今の私のこの状況はまるで「奇跡」。いろんなタイミングやいろんな人との出会いが人生をこんなに変えることもあるのです。フライトまで時間がなかったのでほんの一瞬しか居られませんでしたが、感謝の気持ちでお祈りをしました。
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 そして、ここを訪れた誰もが買って行くというメダイとここでもロザリオをお土産に。
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 メダイのケースにはフランス語で[O Marie cocue sans peche,priez pour nous qui avons recours a vous]と書かれてあって、これは[この姿の通りにメダイを作ってもらいなさい。このメダイを身につける人は、特に首に掛ける人は残らず大きなお恵みを受けるでしょう。特に信頼を持ってそれを身につける者は、また特別に豊かな恵みに満ちあふれるでしょう]という意味のようです。
 既に大きな恵みを受けている私ですが、これからこのメダイもずっと身につけていようと思います。
      ◇  ◇                      ◇  ◇
 いま、無事、高知の我が家に戻ってこのブログを書いています。アメリカに始まって、考えていた以上に多くの国々(トランジットだけのところも含めば13カ国)を周り、ベルギーではたくさんの方々と出会ってとても濃密で貴重な時間を過ごさせてもらい、誰もがなかなか行けないイスラエルにも2度も行く事ができて‥。我ながら、この旅を通じて大きな自信がついたように思います。今のところ、まだまだ将来になんの展望もないですけど、これからも信仰を土台に(なんて偉そうに言えない、悪いこともいっぱいしてますけど‥)たくさんの人たちに支えてもらって、自分も誰かのためにできることをしながら毎日を穏やかに過ごしていきたいと思っています。
 ‥というわけで、このブログはこれでおしまい、と言いたいところですが、まだちょっと決めかねています。またもしかしたら始めるかもしれませんが、ただしばらくは小休止ということで。これまで読んでくださった皆さん、本当にありがとうございました。良い新年をお迎えください☆☆
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by hirotomo0301 | 2011-12-28 22:03

ベツレヘム 幻の聖夜

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 聖しこの夜、星は光り、救いの御子は御母の胸に眠りたもう、いとやすく‥。
ベツレヘム、という街の名前は、おそらく、私が初めて覚えた外国の街の名前だったかもしれません。
 人口登録のため、ナザレからベツレヘムへと何日もかけて旅を続けた身重のマリアとヨセフ。たどり着いたベツレヘムで一夜の宿を求めたもののどこもいっぱいで、あてがわれたのは粗末な馬小屋。そこでマリアは男の子を生みます。夜空にはひときわ大きな星が現れ、その星の明かりを頼りに羊飼いたちや、東方から3人の博士が次々とやって来て、飼い葉桶に寝かされた小さな幼子を見つけました。喜び歌う天使たち。人々は幸せな気持ちになって、心から神を賛美します。
 世界中のカトリック系の幼稚園や学校で、このクリスマスストーリーを描いた聖劇が毎年、どれほど演じられていることでしょう。ベツレヘムという名前はもちろん、3人の博士が持って来たもつ薬や乳香といった言葉は幼いころから、私のクリスマスに対するイメージをかき立ててきました。
 その、本物のベツレヘムでクリスマスイブを過ごすことができるのは私にとって、夢のようなことだったのですが‥。
  
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 私の日頃の行いの悪さを嘆いたのでしょうか、神様はこの旅の最後のクライマックスに、私にきれいな夢を見させてはくれませんでした。イブの日、エルサレムは夕方から突如大雨となり、予約もしていたダビデの塔の光と音のショーも中止に。そしてベツレへムへと向かうに連れて雨脚はさらに強まり、ほとんど横なぐりの雨に。イスラエルでこんなに雨が降り続くことはめったにないのですが、ちょうど私が生まれて初めてベツレヘムに出掛けた2011年のイブの夜がそんな悪天候と重なってしまったのです。
 イブのミサはキリストが生まれたところとされる生誕教会(上の写真にちらりと映っている教会)の中で行われるのですが、それは招待状がないと入れないということで、もともと外から見る予定でした。すぐ横の広場には各国からやって来る聖歌隊のステージもあって、入れ替わり立ち替わりきれいな歌声が広場に響き渡り、それはそれなりにクリスマス情緒にあふれているということだったのですが‥。大雨で私たちが行った時には、聖歌隊のステージは早々に取り壊されるところ。広場にはアラブ系の若者がいかにも暇つぶしに来ているかのようにたむろしていて、パレスチナの兵士も警備に力が入っている様子でもなく、全体に倦怠感のようなものが漂っていて、聖なる夜を喜ぶ雰囲気は私が見た限りありませんでした。世界中がクリスマスイブを心から祝っているこの時に、本家本元のベツレヘムで、こんなムードも何もないイブがたんたんと過ぎているなんて‥。多分にお天気のせいもあるのでしょうが、「中のミサに入るとまた違うんだろうけど、いつもたいていこんなもの。これが聖地の現実」とガイドさん。
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 報道ではこの夜、世界中から何万人もベツレヘムのミサに訪れたとか、ミサでは中東和平を願うメッセージが厳かに発信されたということですが、そんなにもたくさんの人が教会に詰めかけている様子は全く感じられず。教会の中の様子は外の電光掲示板で地元のテレビ局によって生中継されているようでしたが、見ている人もまばらでした。時々、たぶん各国の要人を乗せているだろう黒塗りの車が現れて、教会へ向かっていましたが、その都度、現場に緊張感が走るということもなく、パレスチナの兵士たちも、この行事に慣れ切っているような感じを受けました。残念ですが、聖地でのクリスマスイブは政治的要素の強いお決まりのイベントとなっているのが現実のようです。
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 それでも2011年のクリスマスイブを聖地ベツレヘムで迎えることができたことは大きなお恵み。1年前の私には想像もつかなかったことが現実になっていることに、なんともいえない不思議な思いにとらわれていました。
 広場を少し離れて、ガイドさんが私を連れていってくれたのは、とある空き地(というかゴミ捨て場?)。なぜかというと、数年前、なんでもキリストやムハンマドとも話ができるとかいう変なおじさんがやって来たとき、「キリストが生まれた場所は、生誕教会の中ではなく、ここだ」と言ったそうなのです。家々が立ち並ぶ路地裏でぽっかり空き地になった場所。その人は「聖なる人が生まれた地には何人も家は建てられない。だからそのまま残っている」と自信を持って言っていたそうです。
そのおじさんの言うことに、ガイドさんはなぜなのか不思議と信憑性を感じたようで、「だから、もしかしたら本当はここなのかも。一応、見とき」と。少しの間、広場のざわめきを離れて誰もいない空き地を2人してしばし、眺めました。
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 そうこうしている間にも雨脚はどんどん強くなり、もう離れるしかない状況に。広場のクリスマスツリーの電飾も今にもショートしそうで、ずぶぬれになりながら車に戻るしかありませんでした。
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 雨の水滴と、夜でどうしてもカメラがぶれてしまうので写真もほとんど撮れずじまいで、何もかも思ってもみない展開に。皆さんに、聖地ベツレヘムでの感動的なクリスマスイブの様子を報告する事ができず、もうしわけない限りです‥。
 ユダヤ教徒がほとんどのイスラエルでは街中にハヌカ祭のハヌキアはあちらこちらにあっても、クリスマスツリーの一つも見られないし、ベツレヘムはさすがにクリスマスツリーはあっても、パレスチナの暫定自治区だけあって、イスラム教徒が多く、クリスマスを祝う気持ちはほとんどの人の中にないのが現実。HOLLY LAND イスラエルがもしかしたら、世界でいちばんクリスマスと縁遠いのかも。でも、こういうことも体験してみないと分からないこと。この、いろいろなことがあり過ぎた2011年に2度もイスラエルを訪問し、無事にクリスマスイブをベツレヘムで過ごせたことに、今は心から感謝しています。人気ブログランキングへ
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by hirotomo0301 | 2011-12-26 19:43

安息日前のひととき

 今日は金曜日。イスラエルではこの日の日没から翌日の日没までが安息日になります。ほとんどのお店は閉まり、ユダヤ教の人たちはシナゴーグでの礼拝に出掛けてから家族で食卓を囲むそう。そのため、お店の開いている間に、先月まだ訪ねていなかった街を見に出掛けてきました。
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 ここはエルサレムの新市街地。街の真ん中には大きなハヌキアが立ち、今日はハヌカ祭の4日目なので4本のライトがともされていました。狭い路地が張り巡らされた旧市街と違い、普通の白っぽい街並です。
 街歩きを楽しんだ後、向かったのはテルアビブに近い港街ヤッフォ(Jaffa)。紀元前18世紀にまで遡る古い街で、新約聖書の使徒行伝の第10章に出て来る「皮なめし職人シモン」の家だったとされる家もあります。この家に泊まっていたペテロのもとを、ローマ軍のコルネリウスの使者が訪ねて行ったことによって、キリスト教が異邦人へと広がっていったとされる、キリスト教にとって重要な意味を持つ土地でもあります。下の写真がそのシモンの家(とされるところ)。
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 ここヤッフォは地中海とテルアビブの街を見下ろす高台にあり、素晴らしい眺め。散歩するのには絶好の街でした。
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上の写真は街のシアター。イスラエルではいま、こんな演劇が人気があるようです。
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 最近は12星座の街としても売り出しているようで、至るところに星座のモチーフが。ヤッフォを起点に伝道の旅に出たペテロを記念した聖ペテロ教会をバッグに、星座の前で願いを込めるという橋で記念写真を。12星座の泉の前には可愛い子どもたちがいました。
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 街中にはイスラエルのアーティストの作品もいっぱい。下の写真は空からぶら下がるオレンジの木。みんなぶら下がって写真を撮っていました。
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  海岸近くにはギリシャ神話に出て来る美女、アンドロメダが縛られていた岩々も。白い荒波がとてもきれいなイスラエルの海でした。
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 ヤッフォの次は、復活したキリストが弟子の前に姿を現したエマオという場所へ。花々に囲まれたとても静かな丘で、トラピスト会の小さな教会も。この教会の名前はラトゥルンといい、ラテン語で「泥棒」という意味。「泥棒の教会」なんて変ですが、これはキリストと並んで十字架に付けられた泥棒の1人で、最後にキリストを信じ、一緒に天国に昇っていったとされる「良い泥棒」の住処がこの辺りにあったことから付けられているのだそうです。
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       ◇◇         ◇◇         ◇◇
 移動はずっと車で、道中、イスラエルらしい光景をたくさん目にしました。とっても変な形をした白いマンション群。道路の両側に鉄条網や壁が続くところも通りましたが、その向こうはパレスチナ自治区でイスラエル国籍のないアラブ人はこちら側に入ってくることはできません。写真は撮れませんでしたが、パレスチナナンバーの車をチェックする検問所もあり、銃を持ったイスラエル兵が監視の目を光らせていました。
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 きょう最後の写真は、「道路標識」ではなく、イスラエルならではの電光掲示板を。今週はきょうの午後4時24分から明日の午後5時22分までが安息日だとドライバーに知らせていました。
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 明日はいよいよクリスマスイブです。人気ブログランキングへ

 
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by hirotomo0301 | 2011-12-24 03:07

再び聖地へ空の旅

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 今日は夕べ、ブログを更新してからすぐにアテネの飛行場に行き、朝7時45分発のフライトをひたすら待ちました。そして、イスタンブール経由でイスラエルへ。太陽の輝く昼間に飛ぶのは今回の旅で初めてかも。窓際のとてもいい席だったので、機内食を食べて目覚めた後は、しばし天空のショーに見とれました。
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 やっと見えてきたイスラエル。着陸の瞬間は私も外の様子に気がとられて忘れていましたが、この前のような、聖地に無事到着したことを喜ぶ人たちの拍手はそう言えばありませんでした。ちょっと残念‥。1人だけでもしたかったな。
 わりとすんなり入国審査もパスして、迎えに来てくれたガイドさんの、エルサレムの東の端の郊外にあるお家に。今夜はイスラエルで紀元前164年から続く「ハヌカ祭」というお祭りの3日目ということで蠟燭に火をともしました。ハヌカ祭は偶像崇拝を強制したギリシャの支配から立ち上がった古代のユダヤ人が、ギリシャ軍を追い出し、独立したことを記念して、ハヌキアと呼ばれる燭台に毎日1本ずつ火をともしていくのだそうです。当時のユダヤ人が、1日分しか残されていなかった油で火をつけたら、奇跡的にそれが8日間燃え続けたそうで、それを記念する歴史的なお祭りです。この蠟燭にともされる油はガリラヤ地方で取れる特殊な油で、それを取りに行って帰ってくるのに8日間かかったことから8本に。残りの1本を種火にして、毎年この時期、イスラエルの家庭ではこの燭台を外から光が見える窓際に置いて、ああ今年も年の瀬が来たなあ、と実感するのだそうです。
 ではでは、ハヌカの光とともに、今夜はこれで。
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by hirotomo0301 | 2011-12-23 04:42

コリントからの手紙

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 ギリシャ最後の日は、新約聖書の「コリントの信徒への手紙」で知られる使徒パウロが長く伝道した街、コリントへ、アテネからエーゲ海沿いに汽車に乗り、日帰りの旅をして来ました。「テサロニケに行ったなら、コリントにも行ったら」というジョス神父さまのお勧めもあってのことです。
 ギリシャに来てからずっと感じていたことですが、すごくイスラエルに似ています。時差も同じで緯度などもそんなに変わらないでしょうから、似ているのは当然かもしれませんが、強烈な陽射しに緑、花々が咲き乱れているところなんか。そして、周囲を高い山と青い海に囲まれたここコリントは、遠くにヘルモン山を抱くガリラヤ湖周辺にそっくり。パウロもこの地で、遠いユダヤの地を思い浮かべながら暮らしていたのかもしれません。
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 コリントは古代ギリシャの商業都市で、今も残る神殿は紀元前6世紀ごろに建てられた、現存するギリシャの神殿では最も古いものの一つといいます。パウロがこの神殿に立ったかどうかは分かりませんが、パウロが伝道に来た時代にもあったことは確かでしょう。遺跡は白と黄色の小さな花が敷き詰めるように咲いていて、オリーブの実があちこちになり、本当にきれいなところでした。いつもながらお天気にも恵まれてとてもラッキーだったと思います。
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 この美しい地で暮らす人々に宛てて、パウロは有名な「愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。不義を喜ばず、真実を喜ぶ。すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える」という言葉を書き送ったのですね。
 遺跡を訪ねた後は、同じコリントでも逆方向にある、これも有名らしいコリント運河を訪ねました。エーゲ海とコリンティアコス湾を結び、水位が一定に保たれている運河で、これをここに造ろうと計画したのはローマ皇帝ネロと言われているそうですが、開通したのは19世紀末ということです。たどりついた運河は高所恐怖症ではない私でもカメラを構えて立つとちょっと震えが来るほどの高さ。幅はたったの23m、長さは6343mしかないのだそうですが、高さは100m近くあるのではないでしょうか。
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 今日もたくさんの親切な人に助けてもらい、メトロに始まって汽車を乗り継ぎ、バスもいくつも乗り換えて見たいところは全部見、無事帰ることができました(もうキャッシュがほとんどないのでタクシーには乗りたくないんです)。最後にバスに乗り損ねたので駅まで2キロほど歩きましたが、そのおかげで美しいギリシャの墓地を見ることができました(最近、世界のお墓の写真を撮るのに凝っているんです‥)。エーゲ海を臨む真っ白い十字架‥。こんなきれいなお墓で眠る人たちに心の中で手を合わせました。
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 ギリシャの小旅行も終わり。これから間もなく空港に向かい、イスタンブール経由でイスラエルを再訪します。人気ブログランキングへ
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by hirotomo0301 | 2011-12-22 04:47

アテネの休日

 今日はアテネで朝もゆっくり、どこか目的を決めて観光に行くでもなく、ただのんびりと過ごしました。アテネと言えば、パルテノン神殿とかなんでしょうが、丘の上のようなので登る気力もなく、遠くから見るだけで済ませてしまいました。すみません。たぶん、この写真の上の辺りがそうだと思います。
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 近くのMONASTIRAKI駅は遺跡の中にあるらしい新しい駅。周囲にはグリーク料理のカフェ通りや、アンティークショップ通りなどがごちゃごちゃあったり、自称アーティストの人のフリーマーケットなども開かれていて、エキゾチックな顔立ちの老若男女であふれていました。
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 お昼は、昨日のテサロニケでも市場で見て蛸が気になっていたのですが、今日も市場に出くわしてでっかい蛸を売っていたので、その後、入ったレストランで「オクトパスのグリル」を頼んでしまいました。結果は‥、あんまりおいしくなー。日本に帰って、熱々とろとろのたこ焼きが食べたくなりました。
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 それにしても、こちらの市場で売っているエーゲ海産の魚の見た目はキラキラぴちぴちしていて、とってもきれいです。
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 結局、今日はただ、またロザリオを買ったり、日本に帰ったらたぶん色あせて見えるだろう可愛い物を買ったりして、ぶらぶらとアテネを歩いて終わりました。それでも、街角にはやっぱりアテネらしい建物がたくさんありましたよ。
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 珍しかったのは、SYNTAGMA広場というところにいっぱいあった、クリスマスツリー。こちらはさすがにベルギーやドイツよりずっと温かくて、ほうぼうにオレンジが成っているんですが、そのオレンジの木に缶カンをいっぱいぶら下げて飾りにしていて、どうもこれがクリスマスツリーのようで。こんなクリスマスツリーは初めて見ました!
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ではでは今日はこの辺で。人気ブログランキングへ
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by hirotomo0301 | 2011-12-21 02:00

テサロニケ 祈りと雑踏

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 使徒パウロが伝道に赴いたテサロニケ。新約聖書の「使徒言行録」をよく読むと、そうでした、パウロはマケドニアにも先に行っているんですね。そういえば。期せずしてパウロと同じ道を辿ることになりました。そのテサロニケの街は、色で言うと白い街。家々の白い屋根が街中から遠くに望めます。でも、お世辞にも綺麗なヨーロッパの街とは言えません。今日は雨で空もほこりっぽく見えたせいかもしれませんが、薄汚れた古い建物が立ち並ぶ中、雑多な民族の人々がせわしなく街を歩いていました。
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 ここは見るからに古代からあったような建物の市場。高知で言えば、中欧卸売市場のようなものでしょうか。中には野菜、果物、魚、肉はもちろん、なんでも売っていて、肉屋の店先にはクリスマスが近いからか、それとも普段からなのか、まるごと皮を剥かれた大きな鳥が幾つもぶらさがっていて、人々が品定めしていました。
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 ほんとに街中にきれいな建物はほとんどなくて、なんとなく沢田マンションをつい思い出してしまったようなマンションも(沢田マンションはきれいですけど‥)。そんな古い建物の中に、古代からの門や神殿?などの跡が幾つかぼーんと残っていて、それが不思議と違和感がないのです。
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 そして‥。ここにもやっぱり、街中にはたくさんのギリシャ正教の教会がひっそりとありました。
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 メーンストリートをずっと行った先には、いちばん大きな教会が。中に入ると、ちょうどミサ
(?)の最中で、月曜の昼間というのに大勢の人。何名かの司祭がよく通る大きな声で歌いながら典礼を進め、床にひれ伏して祈るおばあさんも。ミサの途中も、若い女性らが次々と入って来ては、壁に掛けられたイコン?の聖母に口づけし、額をしばらく押し付けて深く祈る姿が見られました。
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 ギリシャ国内の鉄道は運行しているということで、午後には再び汽車に乗り、今回のヨーロッパ旅行、最後の目的地アテネへ。5時間半かけてたどり着き、さすがにほっとしました。ベルギーを再出発して8日。ウィーン、ブダペスト、ベオグラード、スコピエ、テサロニケ、そしてアテネと中欧を横断(斜断?)する列車の旅はかなりきつかったのが本音。でも普通では行けない街でたくさんの人に出会い、とてもいい体験ができました。ここまで無事に来られたことを神様はもちろん、応援してくださったベルギーや日本の皆様に深く感謝しています。ここアテネで2泊ゆっくりとして、クリスマスイブのベツレヘムを目指して再びイスラエルに行く予定です(もちろん飛行機で)。人気ブログランキングへ
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by hirotomo0301 | 2011-12-20 04:56

忘れ難いマケドニア

 一夜明けたマケドニア。朝の広場は、やっぱりきれい。大きな国旗の向こうに、巨大な馬に乗った騎士?の銅像がそびえ立ち、遠くの山の上には十字架が見えて。なかなか他のヨーロッパにもないような眺めだと思います。
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 この広場の手前にストーンブリッジがあります。こちらの方は、「これなんてnew brigeだよ」と言っていましたが、いやいや私には十分old brigeに見えました。のんびり釣りをしているおじさんは本物、真ん中の飛び込もうとしている女の子は、あれも銅像なんですよ。
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 橋を渡った向こう側のold townも少し歩いてみました。橋のたもとには馬が変な銅像も。丘の上には古い城跡?が。マケドニア正教の教会も幾つかありました。
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 古いショッピングストリート?は日曜日でほとんどの店がお休みのようでしたが、赤煉瓦の崩れかけたようなお店が古ぼけたショウウインドウに商品を並べていて、街全体が不思議にエキゾチックな感じ。幾つかあるお土産屋さんには革靴?のお土産がいっぱい吊り下げてありました。この辺りの名産なんでしょうか。
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 ほかにも、かわいい絨毯のお店や、マケドニアンファッション?のお店も。
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 でも私が買ったのは、やっぱり屋台の十字架グッズ。ゆうべ、きっかり500デナリ(800円ぐらい)だけ下ろしていたので、絵はがき数枚と合わせてきっちり使い切りました。屋台のおじさんは、私がカトリックと知ると、やっぱり手を差し出して来て、「自分たちはマケドニア正教だけど、同じクリスチャンだ」と言って、おまけにマリア様グッズをくれました。
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           ◇◇              ◇◇
 そして、ホテルに午後1時きっかり、タクシードライバーのアレクサンドル・サショーさんが迎えに来てくれました。夕べ、駅で会い、テサロニケ行きの汽車もなく、バスも日曜日は休みで月曜日も朝6時のしかないことを知ってがっくりしていた私に、「自分ならタクシー会社の決まりだから95ユーロはもらうけど、日曜日でもいつでも3時間もかからずにテサロニケまで行く。もう一晩スコピエで泊まることを考えたらそっちの方がずっと得だと思うけど」と強引にではなく、真摯に声を掛けてきてくれた彼としばらく話し、私もその方がいいかと思って約束していたのです。最初はいわゆる「ぼったくり」かと思ったのですが、話しているとそういう感じはせず、誠実そうな方だったのでこの際、賭けてみようかと(いつでも、誰でも簡単に信用しているわけではないんですよ、念のため)。
 結果はたぶん、正解。汽車やバスの長旅のように疲れず、サショーさんといろんな話をしながら快適にハイウェイを一路ギリシャに向けてドライブできました。
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 サショーさんはなんと私と同じ1968年生まれ。しかも私より3カ月も若いことが分かってちょっとショック。奥さんは裁判所の仕事かなにかをされていて、18歳と12歳の息子がいるそう。普段は24時間働いているけれど(たぶんジョーク)、毎年、夏には1週間くらいバカンスを取って家族と旅行に行くそう。彼もマケドニア正教で、カトリックとの違いはクリスマスイブが12月24日じゃなくて、旧暦で祝うので来年の1月7日なのだそうです。
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 最高のドライブ日和。青空の下、白い岩山の続くところを抜けると平原が広がり、やがて国境へ。サショーさんがいてくれたおかげで、すんなりとパスポートチェックもクリアし、無事、ギリシャ側へ渡りました。ギリシャには道のはしばしに小さな小さなギリシャ正教のお聖堂?が。
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 よく分かりませんが、やっぱりギリシャ正教もマケドニア正教もカトリックも違いは「little bit」なのでしょうか‥。
 2時間半も走るともうそこはテッサロニケ。夕陽がとてもきれい。ホテルの前まで送ってくれたサショーさんとお別れをしました。
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 私がアテネまでの中継点にテッサロニケを選んだのは、ちょうど行きやすそうというのもあるけれど、やはり新約聖書の中に「使徒パウロのテサロニケの信徒への手紙」という書簡があるように、私にとってはなじみの深い名前の街だから。キリストの教えを世界に広めた使徒パウロがイスラエルから海を越え、伝道に渡った地だからです。ギリシャの鉄道は国内はまだ走っているそうで、明日は午後、アテネまで行きますが、少しでもテサロニケの雰囲気も味わいたいと思っています。
 ☆☆今日は、写真のアップロードが比較的スムーズだったので、いっぱい載せ過ぎてしまいましたね><人気ブログランキングへ
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by hirotomo0301 | 2011-12-19 05:24

中欧・列車の旅〜マケドニア・スコピエへ

 中欧、と書きましたが、ここは中欧なんでしょうか。やっぱり東欧? 外務省のHPでは中欧の部類に入っているんですが‥。今日はベオグラードを朝7時50分に出発し、マケドニアの首都スコピエまで、なんと優に10時間、列車の旅を続けました。
 最初に一緒のコンパートメントに乗ったのは、10歳の男の子とそのお父さん。ホテルの人が持たせてくれた私のお弁当のりんごを男の子にあげると、喜んですぐにカリカリ食べてくれ、お父さんも気さくに話し掛けてくれました。
 
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 彼らはベオグラードの近郊に住んでいるセルビアの人。お父さんのお父さん、男の子のおじいちゃんのところに2人で遊びに行くようです。近隣にはコソボのような今も情勢が緊迫しているところもあり、民族紛争の絶えない長い歴史を経て来た国々。コンピューター関連の仕事をしているというお父さんは,私が日本人と知ると「福島はどう?大丈夫?」とすぐ聞いてきました。やはり、今年は世界中の人の脳裏にHUKUSHIMAという単語が刻み込まれたようです。
 翻って自国のことについては、肩をすくめて「セルビアの人は働く気がないから」。線路のすぐ脇に落ちているゴミの山を指差して、「汚いだろう」とも。紛争が激しいころ、物資を密輸入したりしていた人たちが車窓からあらゆる物を投げ捨てていた名残なのか、今も確かにずっとゴミが線路の横の林の中に落ちているのが見えます。長い間の紛争がやはり、人々に深い疲れや悪い習慣を残しているようです。
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 私がスコピエまで行こうとしているのを聞くと、「えっ、遠いよ。でもまあ、マケドニアはセルビア人もたくさん住んでいるし、いいところだよ」と教えてくれました。マケドニアとセルビアの違いは「little bit」で、「アルバニア人よりマケドニア人の方がずっといい」そうです。
 2時間ほど乗って彼らと別れ、途中、NISという街の駅でまたたくさんの人が乗ってきました。車窓はだんだんと赤い屋根の街並みが目立つように。でももちろん、ベルギーのブルージュなどの赤い屋根の街並と違って、綺麗とは言えません。近くで見ると、戦争の痕なのか、大きな穴が空いていたり、廃墟のようになっている家も。それでも線路は続き、駅で止まるたび、出迎えの人と喜び合う姿も見られました。
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 子どもの笑顔は世界中、どこでもみんなの癒し。おばあさんは車内をうろうろし回る小さな男の子に釘付けで、なんとか気を魅こうと一生懸命。男の子は私たちのコンパートメントに入ってくるように。私の大きなスーツケースが気になるようで、ひざにも乗ってしばらく遊んでいきました。
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 そのおばあさんは、私に窓を開けて写真を撮ったら、と言ってくれ、「ほら、今がきれい」とか何度も言ってくれます(セルビア語?なのでさっぱり分かりませんが、たぶんそう言っていたはず)。私が記念に写真を撮らせてというと、すごく喜んでカメラ目線で笑顔をつくってくれました。
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 10時間の汽車の旅はそんな人々との出会いで、それほど退屈もせずに終わり、真っ暗なスコピエ駅に到着。しかし、そこで明日のギリシャのテサロニケ行きの汽車のチケットを買おうとしたところ、ギリシャの経済危機に直面することに。なんとギリシャの鉄道は6カ月前に破綻してもう走っていないというのです! 「線路は続くよ。どこまでも‥」ではなかったのですね。がーん。バスは日に1便朝6時発のがあるようなのですが、明日は日曜日でないようだし‥。さあ、どうしましょうか。
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 とにかく、ホテルに荷物を置いて、すぐ近くの賑やかな広場へ。すると、すごく綺麗な夜景が!
写真では伝え切れないのが残念です。スコピエってさすがに首都だけあって都会。とりあえず、明日の午前中はold townを観光に行ってきます。人気ブログランキングへ
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by hirotomo0301 | 2011-12-18 07:59

中欧・列車の旅〜ベオグラードへ

 地図で見れば、そーんなにも遠いとは思えない距離。でも朝9時ごろにハンガリーのブダペストを離れ、セルビアのベオグラードまで、約8時間のごとごと列車の旅を楽しみました。
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 列車の中はこんな感じ。
 
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 2等座席でもちゃんとコンパートメントになっていて、私は窓際のとってもいい席に座れました(といっても、頼んでもいないのにポーターのおじさんが私の重い荷物を取り上げて、そこに座っていた人をどけて私に座らせてくれ、「ありがとう」と言うと、当然のように「money!」、しかも「paper!」と言い、私のなけなしの15ユーロ紙幣を取られましたが‥)。運賃自体30ユーロぐらいなのでその半分ぐらいをポーターのおじさんにあげたということ。まあ、ブダペストはほんとに物価が安かったので良しとしましょう。
 列車はスピードを上げたかと思うと、ものすごーくゆっくりになったり、ごとごとごとごと。初めのうちは緑の平原、そして枯れ草林みたいなところがずっと続きました。
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 途中、何度か駅に止まりましたが、何の放送もないし、駅の名前を見てもさっぱり分からず。
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 この辺りは最近までずっと内戦の続いてきた地域で国も幾つもに分かれているのですが、私が持っているのは、ドイツの旅行代理店のおじさんがくれた薄っぺらい、しかもかなり古い、たぶん10年くらい前の鉄道地図。だから、どこで国が変わるのかもさっぱり分かりません。でも、2度ほど、警察官がどやどや中にやってきて「パスポートコントロール」と言い、私の真新しいパスポートと私の顔を何度も吟味した後、スタンプをぽんと押してくれました(さすがに怖くて写真は遠慮しました‥)。
 ドイツバーンのような食堂車両も当然ないので、朝、ホテルでこっそりと頂戴してきたパンとサラミとチョコとはちみつをお昼ご飯に。警察官も来なくなると、やっぱり睡魔が‥。寝ては起き、寝ては起きして、気が付くとあたりは真っ暗になり、ようやくベオグラード駅に着きました。定刻では16時47分に着くはずが、17時20分。時刻表はあってないようなもののようです。
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 駅を出ると、すぐ近くに予約してあったホテルへ。だいぶホテルを早く探すのもうまくなりました。もう遅いのでチェックインしてちょっとだけ外へ。駅とホテルの周辺をぐるっと一周しただけですが、国会議事堂のような立派な建物もあり、都会のネオンサインが瞬いていました。
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 最後に、セルビア料理?っぽい店のディナーで閉め。フィッシュスープは、フランスのブイヤベースのような高級なのじゃないけれど、初めての味で鰯風味がとっても美味。魚のフライも(魚のフライとは知らないで頼んだんですが‥)からっと揚がっていてgood でした!
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 明日はなんと、また朝の7時50分初の列車に乗り、今度は10時間も掛けて、マケドニアの首都スコピアというところまで行きます。ベルギーに舞い戻った4日間を取り戻さないといけないのと、予想以上に汽車の旅に時間がかかることが分かったので、アテネに無事着くまでは観光やレポートはあまりできそうもありません。残念ですが、ベオグラードで昼間、内戦やNATOによる空爆の痕などを見るのも悲しいので、それも良かったのかもしれません。
 明日の朝は早いので、ホテルの人がお弁当を作ってくれるそう。とっても楽しみです!
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by hirotomo0301 | 2011-12-17 05:50

21年間続けた一地方紙の記者の仕事から足を洗い、2カ月半の世界13カ国周遊1人旅から帰ってはや半年。過去の日々を振り返りつつ、次の一歩を模索していきます。


by hirotomo0301
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