my very precious days ーHIROSUE TOMOKO

hirotomo26.exblog.jp ブログトップ

<   2012年 06月 ( 2 )   > この月の画像一覧

祝“脱藩”ANNIVERSARY‥

 
a0230008_16294451.jpg

 我が家の紫陽花も見頃を過ぎ、今年も6月最後の日となりました。あの、デルちゃんの面影を求めて世界を放浪した旅からも気が付けば、はや半年が‥。旅をしていたのは約2カ月半ですから、もうその倍近く時間が経ったのですね。
 そして、すっかり忘れていましたが、今日6月30日は、私の退職記念日!!あの日、異例の立会人付き添いのもとで、会社の特別応接室に出向き、退職届を受理していただいてからちょうど1年と思うとやはり感慨深いものがあります。
 会社での21年3カ月は私にとってはかけがえのないものでした‥。高知生まれの高知育ち、一度も外の暮らしをしたこともない、さらに何の取り柄もない私を採用してくれた懐の深い会社。たくさんの先輩方や同僚のみなさんに支えられ、私も末端の1人として毎日の新聞づくりに携われたことは一生の宝物です。何よりも、地方紙の新聞記者という仕事をしていなければ出会えなかったたくさんの人に出会うことができ、この仕事をしていなければ見ることのなかったたくさんのもの(目には見えないものも含めて‥)を見、大切なものに気付くことができました。なんだか大学の延長で、21年間、それぞれにユニークな素晴らしい先生に囲まれた学校でずっと社会勉強をさせてもらっていたような気もします。
 時には、鶴の恩返しのコウが自分の羽を一羽一羽抜きなら機を織ったような気持ちで、本当は書きたくない記事を、辛くても書かねばならないと思って書いたこともありました(真実を伝えるのが記者の使命ですが、その影響を考えたとき、伝えるには辛過ぎる現実も多いのです‥)。幾つかの表彰状もいただいたりしましたが、私にとってはかえって重荷になったように思います(↓写真は表彰状の一部。一応、載せてみましたけど、決して、自慢する気は毛頭ございません)。
a0230008_17135570.jpg

 それにしても、1年何カ月か前の、特にあの震災が起きる前までは、もうこんな歳になるまで会社にお世話になったのだから、記者として、デスクとして微力ながらも全力を尽くして頑張る所存でいました。それが今、こんな180度違う毎日を送っているなんて!! 私は今の道を選んだことが神様の御旨だと信じていますし、まだまだぜんぜん夢には近づけていませんが、一歩一歩焦らずに頑張っていこうと思っています。
 ただ、21年間、朝晩(昼晩?)と、タイムカードを押し、守衛さんと言葉をかわし、2階へと上っていった、あの「道」をもう通ることがないと思うのは今でも辛いです。しかも、まるで夜逃げのように、日曜日の夜明け近くに1人で軽トラで荷物を運ばなければいけなかったのは(もちろん好きでそんことできるわけがありません‥)あまりにも悲しい事でした。会社が、仕事が大好きだっただけに、あの、最後の約2カ月間の日々を通じて負った心の傷は一生癒えないと思います。もっと大きな傷を負っている人に比べたら申し訳ないようなことかもしれませんが‥。
a0230008_17341171.jpg

 ↑今日、教会にパイプオルガンを弾きに行っていて、もらってきた枯れかけたユリ。
 それにしても。この1年間、本当にたくさんの心優しい人たちに励まされ、勇気をもらってここまで来ることができました。外国でもベルギーの神父樣方をはじめたくさんの人たちに出会い、神様の与えてくださった人生の意味を考え直すことができました。娘もなんとか東京で頑張っています。この小さな幸せを大切にしながら、毎日を明るく、好奇心を忘れずに生きていこうと思います。
 ちなみにデルちゃんの本の件は(ノンフィクションでなくフィクションにする予定)、じっくりと取り組んで3周忌までには形にしたいと思っておりますので、今後とも応援よろしくお願いします。
ではでは(ちょっと長く要らんことを書き過ぎですね^:)
人気ブログランキングへ
[PR]
by hirotomo0301 | 2012-06-30 17:52

哀しき花園。被災地にて‥

a0230008_21304726.jpg

 これほど美しい鳥のさえずりを聞こうとは思いませんでした。耳を澄まさずとも、何種類もの鳥の声がなだらかに続く緑の森のどこからか青空に向かって響きわたってくるのです。足下には赤やピンクのポピーやルピナス、それに紫や黄色の花菖蒲、そして真っ白いマーガレットやクローバー、ハルジオンまで、ありとあらゆる花々が色とりどりに咲き乱れ、その美しさたるや‥。人の手が入らないことで、花々が咲くべきときに咲くことを謳歌しているように思えました。
a0230008_21421567.jpg
a0230008_21411315.jpg

 しかし‥。ここは決して秘密の花園でも、鳥たちの楽園でもありません。あの大震災、そして原発事故で今も6000人あまりの全村民が避難を強いられている福島の飯館村の、誰も人のいなくなった、いわば捨て置かれざるを得ない状況にある山里なのです。当初、この辺りは原発から30キロ圏外ということで、もっと原発に近いところに住む人たちが多く避難して来ていました。しかし、風向きなどから、原発の30キロ圏内よりもむしろ、こちらの方が線量は遥かに高く、人が住める状況ではないことが分かったのです。今は一時に比べ、少しずつ線量は落ちているようですが、草を刈り、その下の土をはぐという除染作業はやってもやってもまた草が生えてきてとてもおっつくはずもなく、風が吹けば山林から放射性物質が飛んで来てまた線量が上がる繰り返しで、人々が村に帰れるめどは全くたっていません。そんな中でも季節は巡り、花や鳥や木々は生命の息吹をともし続けていることに希望を抱くと同時に、なんだか言いようもなく切ない、悲哀を感じざるを得ませんでした。
a0230008_21582088.jpg
a0230008_21585892.jpg

 上の写真。花菖蒲の後方にあるカメラのようなものは放射線量を測定する装置です。こうした風景の中を、私も携帯の測定器の値を見ながらレンタカーを走らせました。昨年は場所によっては100〜200シーベルトなんていう“ホットスポット”もあちこちにあったようですが、今は多くても8〜9シーベルトぐらいでとりあえずは落ち着いていました。
a0230008_229528.jpg

 それでも、ここから先は線量がまだまだ高く立ち入り禁止というところには機動隊の方などが警戒に当たっており、もちろん入ることはできません。
a0230008_22113094.jpg

 村には狭い道沿いに古くからの民家が点在していますが、どの家もきっちりとカーテンが閉ざされ、もちろん人の気配は全く感じられません。中には硝子窓いっぱいに殴り書きをしたような張り紙を貼っている家もありました。下の写真がそれです。一時帰宅されたときに書かれたものと思いますが、せいいっぱいのヤジを、ブラックジョークを張り出すことで、持って行き場のない怒りをぶつけるしかない、村民の気持ちを代弁しているように思いました。当事者の方々が現実に突きつけられている葛藤、逃れようのない苦しみを前にしては、部外者には何も言う言葉が見当たりません。誰も創造もしなかった大震災は起こってしまい、それによって引き起こされた原発事故は、そこに住む人たちの人生を根底から変えてしまいました。遠く離れた四国に住む私たちでさえ、震災ですべてが変わってしまったように感じるのに、ここで生きてきた人たちが乗り越えなけれなならない困難はどれほどのものか。ここの人たちにとって、震災が遠い日のことになることは決してないのだということを、恥ずかしながら、現地に行ってこの目で見ることで、あらためて痛感しました。
a0230008_2221256.jpg

         ◇                  ◇
a0230008_22283864.jpg

 原発があるのは上の写真の、ちょうど右上の雲の下辺りということです。そこからさらに車を走らせ、つい最近、立ち入り禁止が解除になったばかりという原発から20キロ圏内の南相馬市の海岸線にも行ってみました。
a0230008_22305050.jpg

 轟音をたてて砕け散る白波。遠くに台風があるせいかもしれませんが、土佐沖と同じ、太平洋だとは思えないほどの荒波でした。この海があの日、この原発近くの村にも大津波となって押し寄せたのです。
a0230008_22371978.jpg
a0230008_22351012.jpg

 最近まで立ち入り禁止だったため、惨状はほぼ手つかずの状態で広がっています。
a0230008_22412437.jpg
a0230008_22404785.jpg
a0230008_22394119.jpg
a0230008_22385967.jpg

 そして、こんな悲しい場所も。いつ供えられたのか簡素な花束とすぐ傍にはワンカップの空き瓶も。突如奪われた幾千もの尊い命‥。ここで最期を迎えた方の魂が心安らかに憩わんことを、残された家族ととこしえにともにあることを祈って、手を合わさせていただきました。
a0230008_2250316.jpg

 周辺はもともと湿地帯だったこともあってか、いまだに津波の水が引いていないと思われる地域もありました。今までさんざん映像や写真で見てきたけれど、実際に目にすると、この目の前の光景をなんと表現すればよいのか瞬間、言葉を失いました。あの日、テレビでライブで見て、まるで今まさに日本の地形が変動しているかのように感じたことがまざまざと思い出されました。むろん、忘れようにも忘れられない光景ですが、きょう、実際に見た、この現実の悲劇を一生忘れないように、目に焼き付けていようと思います。
a0230008_2254692.jpg

 最後に、あの日以来、運行を休止している常磐線。線路は草で埋もれています。簡単にはいかない難しい問題が山積しており、実現は難しいのかもしれませんが、やはり、いつの日か、福島の人たちに、以前の、平和な、普通の日常が戻ってくることを願わざるにはおれません。
 
a0230008_238611.jpg

人気ブログランキングへ
[PR]
by hirotomo0301 | 2012-06-07 23:15

21年間続けた一地方紙の記者の仕事から足を洗い、2カ月半の世界13カ国周遊1人旅から帰ってはや半年。過去の日々を振り返りつつ、次の一歩を模索していきます。


by hirotomo0301
クリエイティビティを刺激するポータル homepage.excite