my very precious days ーHIROSUE TOMOKO

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初めての台湾〜5 海と空、山

 龍馬財団の一行のツアーは3泊4日。4日目の早朝、ほかのみなみなさまは高知や東京にそれぞれ帰っていかれたのですが、そこは失業中の身の私、せっかくなのであと2泊、台湾を楽しんで帰ることにしました。
 というわけで、4日目は、中国語も話せ、台湾事情にもお詳しいM氏の案内で、台北からほど近い、九分(ほんとは人べんに分)と淡水へ。海に囲まれた台湾の風光明媚な自然を満喫してきました。
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 最初に訪れたのは台北からタクシーで40分ほどの九分。かつて金鉱の街として栄えた雰囲気を残し、名作映画「悲情城市」(見た事ありませんが‥ーー)の舞台にもなった場所。日本では「千と千尋の神隠し」に出てくる街のモデルにもなったところと紹介されているようです。
 九分は山の斜面にあり、小さな土産物店が両側に立ち並んだ細い石畳の道をひたすら登っていきます。下から上まで、ずっと連なるように吊り下げられた赤いぼんぼり(ちょうちん?)が情緒を醸し出していましたが、日本で言えば、浅草や京都の参道みたいな感じかな。
 しかし、ここは暑くても登る価値があります!! だいぶ上の方にくると、東シナ海を見下ろす絶景の高台があり、これはすごい!地球ってなんてきれいなんだろう!って言うほど。思わずため息がもれました。
 
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 この辺まで登るとさすがにちょっと疲れたので海の見えるテラスで冷たいジャスミンティー。
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 頂上辺りまで行くと、またもや道教の神さまを祀っているのでしょうか、きらびやかな台湾風の廟がありました。きれいですね〜。
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 九分を離れ、続いて向かったのは、李登輝氏の故郷でもあり、夕陽のきれいなことで有名な淡水。
台北から電車で1時間半くらいのところにあります。
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 台湾のヴェニスとも称される淡水。ここの港は美しいだけでなく、台湾にとって重要な意味を持ちます。なぜなら、スペインやオランダ、そして日本と、侵略国はここから入ってきたから。台湾の悲哀を象徴する港でもあるのです。東シナ海へと、悠々と流れる大河。岸辺にはさまざまなお店が並んでとっても賑やかです。台湾の若者にとっては格好のデートスポットなんだろうなと思いました。
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 ↑旧市街はこんな感じ。
 ↓オランダ統治時代の面影を残す建物もありました。
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 そしていよいよ夕陽の時間に。この日はあいにく雲が多かったので残念でしたが、それでもここ淡水でしか見られない独特の雰囲気のある薄紅色の雲と藍色の空が混じった光景にしばし目を奪われました。
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 皆さんも台湾を訪問される折にはぜひ、九分と淡水には足を運ばれることをお勧めします。
ブログ、明日も更新します^^
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by hirotomo0301 | 2012-08-02 08:00

初めての台湾〜4 信心深い人々

 今回からは、龍馬財団の台湾要人との対面ツアーの内容とは離れて、個人的な旅日記を書き留めておきます。
 台湾が、「『台湾は観音様と馬(ほんとは女ヘンに馬)祖=まそ=様によってまもられています』と皮肉屋の老台北も、おだやかな表情でいうのである。」と、かの司馬遼太郎の「台湾紀行」にも書かれているように、人々の信心はたいそう深いのであろうとは思っていましたが、今回の短い旅でもいたるところでそうした風景を垣間見ることができました。
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 初日にみなで訪れたのは、“極彩色の外観が目を引く、台北最古の寺廟”とガイドブックにある、龍山寺。創建は1738年。観音菩薩が主神だそうですが、文殊菩薩や普賢菩薩、馬祖や文昌帝君などの道教の神さまも祀られているそうです。
 その極彩色の外観にもまして、私がいちばんに目を魅かれたのは、入り口の門へと続く街路で売られているお供え用の花々のきれいさ!!
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 ほんとうに、きれいだと思いませんか?
これらのお花は、道端でおばあさんたちがこんな感じで売っています。
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 そして、いよいよ中へ。真ん中に長い線香やろーそくを燃やすところがあり、その前には長〜い祭壇、その上に先ほどの花々やお菓子やお酒やそのほかさまざまなものが供えられています。そしてその後ろに幾重にも人々が並び、跪く人、立ち上がってはまた座りを繰り返す人‥。誰もが頭を深く何度も何度も下げ、真剣な表情で何事かを祈る姿が印象的でした。
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 面白〜いと思ったのは、ガイドの宗家欣さんに教えてもらった、おみくじの引き方!まずは赤くて長いお箸のような棒を1本引きます(おみくじ引きは無料です)。↓
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 すると、引いた棒の先に、数字が漢字で書いてあります。↓
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 もちろんこの数字が引いた人の運勢に作用するわけですが、その前に、本当にこの数字がそうなのか、確かめる作業をします。それが、この長い棒の横に置いてある、切ったスイカのような形をした物体。これを二つ手に取り、地面に投げるのです。↓
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 そして。二つの“スイカ”が表なら表、裏なら裏と、二つ揃った場合は、その数字が運命の数字ということに。揃わない場合は、なんどでもここまでの作業をやり直します。私は3回ぐらいやりました。↓(たぶん、これが表と表?)
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 ようやく自分の数字が分かると、次は、数字ごとの運勢を書いた木箱のところへ。自分の数字の書いてある引き出しを開け、中から紙を取り出します。宗さんによると、いちばんいいのは左端の上のところに「上上」と書いてあるそう。私のは「中中」でした‥。でもまあここは、「これから先、中中(なかなか)いい人生送れるぞ」ということで(笑)。↓
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 神々への深い信心が根ざす台湾ですが、李登輝ご夫妻が熱心なクリスチャンであるように、きらびやかな廟とともに、いたるところで教会も見掛けました。カトリックは少ないのかもしれませんが、屋台の横で十字架がネオンサインになって輝く教会や、かわいい絵の描かれた牧歌的な教会などなど。今度行く機会があるときには、教会の中ものぞいてみたいと思います。
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by hirotomo0301 | 2012-08-01 08:00

初めての台湾〜3 続・感激の出会い

 坂本龍馬財団による台湾の旅。3日目は新幹線で約2時間、台北から台南へ向かいました。
 目的は、李登輝氏の次に控える台湾の重要人物の方々にお会いすること。最初は、台湾でコンビニや宅配事業をはじめあらゆる食品産業を手掛ける大企業、統一企業公司の林蒼生総裁を訪ねました。
 
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 大きな会社の入り口には「坂本龍馬財団御一行歓迎」の電光文字がきらめいていました。
 林氏は2代目ですが、創業者は松下幸之助氏、韓国のサムスンの創業者とともに「世界に3人の尊敬する経営者」の1人に選ばれたことがあるという台湾が世界に誇る企業のトップです。
 柔和なお顔をしたこの方も非常に親日的。いまの世界情勢と日本の役割、経営者としての心得などについてお話してくださった後、台湾料理の円卓を私たちみなと囲んでくださいました。
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 ここでもいちむじんやOTOGIのお2人がギターと歌を披露。林総裁は終止にこやかに耳を傾け、一人一人との名刺交換や握手にも気軽に応じてくださいました。台湾はどんな大企業のトップでも決して偉ぶる事がないようです。
    
 そして、次なる行き先は李登輝氏の盟友であり、奇美実業という、ABS樹脂(ていっても私にはあまりよくわからないんですけど‥)の世界ナンバーワンの企業を一代で築き上げた台湾の名だたる経営者、許文龍氏。氏は、「企業利益の3分の1は医療、文化、環境に還元すべきだ」というのが持論で、びっくりするのは、世界的に価値のある多くの美術品コレクションを集めた奇美博物館をつくって、誰にでも無料で開放していること。現在、新館も建設中で、それも出来上がり次第、台南市に寄付されるそうです。訪ねたときはちょうど亜熱帯の台湾特有のすごいスコールが降っているところだったので、雨に煙っていますが、屋外はこんな感じで彫像が並んでいました。
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 そしていよいよ博物館の中へ。案内してくれたのは奇美実業顧問の石榮堯(せきえいぎょう)さん(↓)。日本語は普通に堪能で、人柄の良さがお顔ににじみ出ているような方でした。
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 博物館の中は撮影はNGということでお見せすることができず残念ですが、ほんとになんて面白い博物館!!というのが感想。古今東西の素晴らしい名画があるかと思えば、日本の武士の槍や刀、さらにその次のコーナーは突然、世界の動物や鳥たちの剥製が何百体も(もしかしたら1000を超えているかも‥)あり、これは、特に子どもたちが見れば好奇心をかき立てられ、一生忘れられない宝物のような想い出になるだろうなあと思いました。
 写真をお見せできないのがかえすがえすも残念ですが、私がいちばん感動したのはやっぱり世界の楽器コレクション!! ご自身も名ヴァイオリニストの許文龍氏は弦楽器の名器はもちろんのこと、パイプオルガンと木琴とトライアングルとドラムが一斉に自動演奏を始めるピアノをはじめ、世界でおそらくここにしかないユニークで超貴重な自動演奏の楽器がずらり並んでいたのです!! その一つ一つの演奏を短い時間でしたが、石さんが聴かせてくれたので私は大感激しました。ほんとはもっとゆっくり聴いていたかったけど‥。
 そして、その夜は許文龍氏を囲んでの宴席。許文龍氏の含蓄のあるお言葉に耳を傾けながら、またまた美味しい台湾料理にお酒をいただき、瞬く間に夜がふけていきました。このときばかりはいちむじんらの演奏はなく、許文龍氏自らがヴァイオリンを奏で、それに合わせてギターやコーラスも台湾の方々が披露してくださってみんなうっとり。曲目は「故郷」や「荒城の月」「世界は二人のために」などみんなが知っている曲ばかり。全員が大きな声で歌い、中には涙している人もいました。
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 今回の旅でお会いした台湾の方々は李登輝氏にしても許文龍氏にしても、戦前の日本統治下で生まれた台湾人。歴史上、幾多の国に植民地支配されてきた台湾の悲哀の中に生きてきた人たちです。それでも李登輝氏が「私は22歳までは日本人でした」ときっぱり言われるように、植民地化した日本に対して遺恨を持っていないばかりか、許文龍氏が「日本の統治によって学校がたくさんできた。日本が教育に力を入れたお陰だ」「日本のお陰でインフラ整備が飛躍的に整った」と言われるように、日本に対して、日本人に対して感謝の気持ちを強く持ってくださっていることに、日本人として逆に感謝したいような思いがしました。
 そして、彼らのだれもが今の日本について「日本人の御しやすい、感化されやすい性格が悪い方に出ている。残念なことにリーダーがいない」(許文龍氏)「日台の関係を良くすることが私の使命。我々は新しい龍馬をつくりなおし、発見し、責任をもって教育しなければならない」(李登輝氏)と話し、これからの日本のことを真剣に考えてくださっているのが分かりました。
 許文龍氏は「日本人は台湾人を知らない。大陸の歴史を知らな過ぎる」というのもその通りだと思います。彼らの期待する「大衆を変えるようなリーダー」を見い出し、育てることに、私たち龍馬財団の一人一人が寄与しなければならないとあらためて痛感した旅でした。
 今日から毎日、台湾編、更新します。
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by hirotomo0301 | 2012-07-31 13:45

初めての台湾〜2 感激の出会い

 坂本龍馬財団による台湾の旅。続きを更新するのが遅くなりました。
 この旅の最大の目的は、そう、戦後の台湾の民主化を血を流すことなく進め、台湾の龍馬ともいっていい大人物、李登輝元総統の快気祝いに伺うことでした。龍馬をこよなく愛し、龍馬の船中八策を自らの指針ともしてきた李登輝氏は2年前、東京で日本に講演に訪れた際、どうしても桂浜の龍馬さんに会いたくなり、その翌日、夫人とともに急遽、桂浜へ来られました。そして龍馬記念館にも立ち寄られ、出迎えた森健志郎館長はその深い志、魅力あふれる人柄に心が沸き立ったと言います。そして、今年、李登輝氏が病気で手術をしたとニュースで知り、ぜひともお見舞いに伺いたいと電話したところ、もうすっかり元気になったので、それならどうぞ快気祝いに来てください、と言ってくださったのです。
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 台湾2日目の午後。緊張でこちこちになる私たち一行の前に、李登輝氏は待ちかねてましたよ、と言わんばかりに、満面の笑みで歩いて来られました。190センチはあろうかという背の高さ(本当は183センチのようです)、大きな体、大きな頭。真っ白いシャツをぱりっと着こなして、颯爽と現れ、真ん中の大きい椅子にどっかりとお座りになられました。
 李登輝氏は早くお話をされたいようでしたが、まずは高知から持ってきたお土産攻めに。台湾の国花であり、才谷家とも由来の深い梅の花を描いた絵や、帽子デザイナーの山本正子さんが李登輝氏をイメージしてつくったテンガロンハットなどなど。それに、ギターヂュオいちむじんの2人と、龍馬の手紙を歌にしているOTOGIの2人がそれぞれに想いを込めた演奏を捧げ、李登輝氏はにこにこと、また時にはじーっと耳を澄まして心から喜んでくれているのが分かりました。
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 そして、李登輝氏がいよいよお話をしてくださることに。ここでは長くは書きませんが、そのお話はご自身がいま、「20世紀は人類に何を与えたか。何を残したか」というテーマで論文を書いているところであることから始まり、龍馬について、「日本に黒船が訪れ、幕府がその対処に困っていたあの時代、まだ20歳にもならない龍馬が当時誰も考えなかったこと、つまり大政奉還ということを考えた」と評価。その龍馬に見習って「台湾においても無血の、静かな革命によって、独裁的な政治からの自由化を目指した」と政治家としての自らの歩みを語られました。
 さらに、幕末と今とを重ね合わせ、「龍馬は日本が黒船で困っているとき、日本がどうすべきかをはっきり示した。封建的な社会にあって自分の考えを遂行し、命を投げ出してやった。今も幕末と同じ。世界の秩序が崩壊し、国際的な問題となっているが、龍馬のような政治家は見られない。今こそ総理大臣になるために大臣になったような政治家ではなく、国際問題に対処できる龍馬のような人材に出てほしい」と力を込めて話され、日本について深く憂慮されているのが伝わってきました。
 病み上がりにもかかわらず、李登輝氏は本当にお元気な様子で、まだまだ話し足りないといったお顔。なんと、私たちにとってはサプライズの、夜の一席も設けてくれることになりました。
 ここでも李登輝氏は昼間の疲れも見せずににこにこと現れ、「秘蔵の紹興酒を持ってきた」と上機嫌のご様子。台湾の伝統料理を前に話は尽きることなく弾み、私たち龍馬財団の一行、1人1人と本当に親しく話してくださいました。元総統という偉大な、普通ならば滅多にお会いすることなどできないような方がここまで誰とでも気さくに接してくださるとは‥。「政治家」というだけで好きになれない人が多い私にとって、李登輝氏はその概念を打ち破る、本当に素敵な方。一目で好きになりましたが、間近でお顔を拝見し、お話を聴くほどに、なんて素晴らしい方なんだろうと感激しました。
 
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 李登輝氏は私ごときにも親しくほほ笑んでくださり、持って行っていた最新刊の御著書に、私の名前を「末広という名字はよくあるけど、広末は珍しいね」と言いながら、丁寧にサインもしてくださいました。李登輝氏は熱心なクリスチャンでもあり、私が聖書でいちばんお好きなところはどこですかと聞くと、「復活したイエスをこの目で見なければ信じないと言ったトマスに対し、イエスが『信じない者ではなく信じる者になりなさい』『見ないで信じる人は幸いである』と言われたところだ」と話してくださいました。この箇所に深い感銘を受け、ご自分も「見えないものを信じることのできる人間になりたい」と思われて受洗を決意されたそうです。洗礼名はトマス。「一国のリーダーたるものは信仰がなければならない」とも言われ、それは「一番に、孤独だから。私も孤独だった」と言われました。人智を超える存在を信じることが、人間としての奢りを持たないことにつながることも理由なのではないかと御著書などから思います。そして、「人間としていちばん大事なのはロマンスだよ」とも。最愛の夫人へのメッセージが込められているようで、本当に、愛情深い、優しい方なのだなあとしみじみ感じ入りました。
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 台湾龍馬会の方々の熱烈な歓迎もあり、美味しい紹興酒にワインも回って、会場は大盛り上がり。いちむじんも坂本登さんも台湾の方々も次々にマイクを握り、楽しい夜はあっという間に過ぎていきました。ここでも李登輝氏はまだまだ帰りたくないといったご様子でしたが、秘書の方に促されて仕方なく?お帰りに。一人一人と握手してくださり、大きく笑ってSPの方に守られながら階段を下りてゆかれました。
 本当に、温かい人柄が大きな体にみなぎった魅力あふれる偉大な方。李登輝氏にお会いできたことは素晴らしい神さまのお恵みと思います。お聞きした一言一言を忘れないようにしたいと思います。人気ブログランキングへ
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by hirotomo0301 | 2012-07-30 00:46

初めての台湾〜1 龍馬財団いざ台湾へ

 坂本龍馬財団の理事を務めている私(もちろんボランティアですーー)。財団代表理事の森健志郎館長が「おい、台湾に行くぞ」と言ってきたのは2カ月くらい前かな。「お金がないのでとても行けません」という選択肢は当然なく、お供することに。そして、とうとうその日がやって来ました!!
 旅の第一の目的は、台湾の民主化に大きな役目を果たした前相当の李登輝さんにお会いし、今こそ龍馬スピリッツを世界に発信すべきときだというメッセージを伝え、財団の名誉会員になっていただくという壮大なもの。そんな歴史上に残る大人物に私ごときがお目に掛かれるとは。光栄の限りです。
 というわけで、「嬉しくてふわふわしている」という館長(右)。台湾に到着し、郷士坂本家9代目の坂本登さんと興奮を抑え切れない様子でした。
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 李登輝さんにお会いするのは明日の午後ということで、今日はとりあえずみんなで観光に。蒋介石元総統を讃える中正記念館や、日本で言えば靖国神社に当たる忠烈祠に行き、22、23歳ぐらいの徴兵制による兵役に勤めている海軍や陸軍の兵隊さんの、中でも背が180センチ以上ないといけないなど、選ばれた精鋭の衛兵さんたちが、まるで鑞人形のように微動だにしない姿で、1時間ずっと警備に当たり、その後、時間が来て新しい衛兵さんと交代する儀式?を見学しました。なんだか北朝鮮のマスゲームのミニミニ版のよう。足や手をびしっと乱れなく歩を進める姿は異様だけれど、昔の兵隊さんは日本でもあんなんだったのでしょうね。
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 ではでは明日は正念場なので、今日はこのへんで。
 もっと身近な台湾の空気が感じられる内容については、またおいおいアップしていきますね^^人気ブログランキングへ
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by hirotomo0301 | 2012-07-23 02:17

天空の郷の人生

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 遠く連なる山々、足下には棚田‥。梅雨空の下、どこもかしこも緑の、のどかで美しい風景が眼下に広がります。吉野川の源流域、土佐の山間にある本山町・高角地区。“天空の郷”と呼ばれるその場所は、きっと遥か昔から変わっていないだろう、そのままの姿で、人々を優しく迎えてくれます。
 ここ高角は、昨年秋、県立坂本龍馬記念館の20周年記念事業で、私たち母娘も一緒にアメリカに行ったメンバーの1人、県立嶺北高校3年生の大石すみれちゃんが生まれ育ったところ。そして、彼女の大好きなお父さんで、私の大学時代の友人でもある大石直哉君が先祖代々受け継ぎ、大切に守ってきた、高知県嶺北地方の宝物のような場所です。
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 大石君のご家族は、この、大きな大きなクヌギの木の下にある大きなお家で暮らして来ました。大学を卒業してから20年余り。大石君は大学の同級生だった最愛の奥さんと結婚し、二人の可愛い娘さんに恵まれ、そして、ご両親もともに一家で椎茸の原木栽培に精を出す傍ら、町会議員として町の活性化に情熱を傾けてきました。私とは、昨年、アメリカ旅行ですみれちゃんと一緒になったのをきっかけに再会したのですが、20年前と変わらない、生き生きと元気いっぱいの笑顔に、本当にいい人生を過ごしていることが伝わってきました。そして、すみれちゃんのことが、心配で心配でたまらず、二人の娘さんを本当に大切に思っていることが‥‥。
 それなのに。それなのに、今年5月のゴールデンウィークの最中、私と同じ、44歳で、あまりにも突然に、なんの兆候もなく、あっけなくその生涯は終わりを告げました。心筋梗塞でした。信じられない出来事は人生に多々あるけれど、それでもあんまりすぎる‥。ご家族の胸中を思うと、こうして文章にして書くことも辛すぎます。嘘やろ?と今でも言いたい。それでも、49日も過ぎた今日、あらためてお家を訪ね、大石君が今もそこにいるようなお部屋で、大学時代の思い出やすみれちゃんたちのこれからのことをいっぱい話し、大石君が娘たち同様、手塩にかけて大切に育ててきた「大石きのこ園」を見せてもらって、大石君のことをいま少しでも書いておこうと思いました。奥さんの美香ちゃんも許可してくれたので、このブログを読んでくださっているみなさんに、大石きのこ園と、大石君のことについて心にとめていてもらいたいと願って書きます。
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 上の写真は、この3月に取材を受けたという「TOSA国保だより」。「しいたけづくりが里山を守る『天空の郷』本山町のしいたけ」と題して、ご両親と大石君夫妻のとってもいい笑顔の大きい写真がフロントを飾り、山中での大石君のインタビューや、しいたけの写真もいっぱい載っていて3㌻にもわたって特集されています。出来上がった雑誌は、大石君が亡くなった後に届いたのだそうです。それも辛過ぎるけど、でも、このインタビューを受けている大石君の写真を見ていると、今にも声が聞こえてきそう‥。どちらかというと朴訥な喋り方の、照れ屋でシャイなところのある、それでいてとってもたくましい、まさに山の男でした。
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 何千本も山積みにされたしいたけの“榾木(ほだぎ)”。山に自生していたり、自分で植林したりしているナラやクヌギの木を1㍍ほどに切ったのが原木で、これに一つ一つ手で菌を植え込んでいくのがしいたけの原木栽培なのです。これを完全無農薬で行い、毎日毎日休むことなく、一つ一つの手塩にかけて育てたしいたけを摘み取り、生協などに出荷していた大石君。大黒柱を失ったハウスは遮光シートが掛けられているせいもありますが、寂しく見えました。きのこ園は、今、菌を植え込み済みの原木はなんとか出荷するものの、その後は閉鎖せざるを得ない状況にあるようです。私ごときの第3者が軽く言えることではもちろんないですが、大石君がここまでにしたきのこ園を続けていく方法はないものか、山里をこれ以上疲弊させないためになんとかできないのか‥胸が痛みます。

       ◇         ◇         ◇
  
  でもでも、希望はもちろんいっぱいあります。過度なプレッシャーを掛けてはいけないけれど、まさに、最愛のお父さんの血をそのままに受け継ぎ、「嶺北の龍馬になりたい」という大志を持って、昨年のアメリカ行きに応募し、県内の高校生の代表として堂々と米国の高校生たちとディスカッションしたすみれちゃん。「過疎化の進む古里、嶺北をもっともっと元気にしたい、そのために、勇気をもって外の世界に一歩を踏み出し、そこから活性化のヒントをいっぱい持って帰りたい」。その勇姿が、オバマ大統領の出身校であるハワイ・プナホウスクールに認められ、この夏休み、龍馬財団の最初のスカラシップ生として、ハワイに短期留学する事が決まったのです。日本の、地方の、しかも嶺北のような田舎(いい意味でです)の高校生の受け入れはきわめて異例のこと。生前、大石君は「本当にうれしい。自分の娘ながらすごい」と嬉しそうに話し、「すみれのことをほんとによろしく頼む」と何度も何度も言っていました。
 その留学を目前にしたお父さんの死は、すみれちゃんにどれだけの‥(これ以上は書くのも辛くて書けません)。それでもしっかりと前を向いて、1人、ハワイへと旅だって行きました。龍馬財団の小さなバッジをしっかりと胸に付けて。
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 一カ月ほどの短期留学ですが、きっと大きく成長して帰ってくることでしょう。すみれちゃん、お父さんはどこへ行ってもずっと一緒やし、もちろん龍馬財団のみんなもいつでも応援しゆうきね。あんまりプレッシャーに感じんでえいき、自分らしく、楽しんできてね。心からそう思います。
 
         ◇        ◇        ◇
 最後に、きょう、お土産にもらった、大石きのこ園の干ししいたけ。いちばん美味しい方法で料理してその味をずっと忘れないでいたいです。
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 そして。美香ちゃんが「直哉君がそこにいるから」という大石きのこ園のHPのアドレスを。http://ooishikinokoen.com/です。ぜひ、のぞいて、大石君の椎茸栽培への、天空の郷への思いを直に見て聞いてください。人気ブログランキングへ
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by hirotomo0301 | 2012-07-16 02:21

祝“脱藩”ANNIVERSARY‥

 
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 我が家の紫陽花も見頃を過ぎ、今年も6月最後の日となりました。あの、デルちゃんの面影を求めて世界を放浪した旅からも気が付けば、はや半年が‥。旅をしていたのは約2カ月半ですから、もうその倍近く時間が経ったのですね。
 そして、すっかり忘れていましたが、今日6月30日は、私の退職記念日!!あの日、異例の立会人付き添いのもとで、会社の特別応接室に出向き、退職届を受理していただいてからちょうど1年と思うとやはり感慨深いものがあります。
 会社での21年3カ月は私にとってはかけがえのないものでした‥。高知生まれの高知育ち、一度も外の暮らしをしたこともない、さらに何の取り柄もない私を採用してくれた懐の深い会社。たくさんの先輩方や同僚のみなさんに支えられ、私も末端の1人として毎日の新聞づくりに携われたことは一生の宝物です。何よりも、地方紙の新聞記者という仕事をしていなければ出会えなかったたくさんの人に出会うことができ、この仕事をしていなければ見ることのなかったたくさんのもの(目には見えないものも含めて‥)を見、大切なものに気付くことができました。なんだか大学の延長で、21年間、それぞれにユニークな素晴らしい先生に囲まれた学校でずっと社会勉強をさせてもらっていたような気もします。
 時には、鶴の恩返しのコウが自分の羽を一羽一羽抜きなら機を織ったような気持ちで、本当は書きたくない記事を、辛くても書かねばならないと思って書いたこともありました(真実を伝えるのが記者の使命ですが、その影響を考えたとき、伝えるには辛過ぎる現実も多いのです‥)。幾つかの表彰状もいただいたりしましたが、私にとってはかえって重荷になったように思います(↓写真は表彰状の一部。一応、載せてみましたけど、決して、自慢する気は毛頭ございません)。
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 それにしても、1年何カ月か前の、特にあの震災が起きる前までは、もうこんな歳になるまで会社にお世話になったのだから、記者として、デスクとして微力ながらも全力を尽くして頑張る所存でいました。それが今、こんな180度違う毎日を送っているなんて!! 私は今の道を選んだことが神様の御旨だと信じていますし、まだまだぜんぜん夢には近づけていませんが、一歩一歩焦らずに頑張っていこうと思っています。
 ただ、21年間、朝晩(昼晩?)と、タイムカードを押し、守衛さんと言葉をかわし、2階へと上っていった、あの「道」をもう通ることがないと思うのは今でも辛いです。しかも、まるで夜逃げのように、日曜日の夜明け近くに1人で軽トラで荷物を運ばなければいけなかったのは(もちろん好きでそんことできるわけがありません‥)あまりにも悲しい事でした。会社が、仕事が大好きだっただけに、あの、最後の約2カ月間の日々を通じて負った心の傷は一生癒えないと思います。もっと大きな傷を負っている人に比べたら申し訳ないようなことかもしれませんが‥。
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 ↑今日、教会にパイプオルガンを弾きに行っていて、もらってきた枯れかけたユリ。
 それにしても。この1年間、本当にたくさんの心優しい人たちに励まされ、勇気をもらってここまで来ることができました。外国でもベルギーの神父樣方をはじめたくさんの人たちに出会い、神様の与えてくださった人生の意味を考え直すことができました。娘もなんとか東京で頑張っています。この小さな幸せを大切にしながら、毎日を明るく、好奇心を忘れずに生きていこうと思います。
 ちなみにデルちゃんの本の件は(ノンフィクションでなくフィクションにする予定)、じっくりと取り組んで3周忌までには形にしたいと思っておりますので、今後とも応援よろしくお願いします。
ではでは(ちょっと長く要らんことを書き過ぎですね^:)
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by hirotomo0301 | 2012-06-30 17:52

哀しき花園。被災地にて‥

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 これほど美しい鳥のさえずりを聞こうとは思いませんでした。耳を澄まさずとも、何種類もの鳥の声がなだらかに続く緑の森のどこからか青空に向かって響きわたってくるのです。足下には赤やピンクのポピーやルピナス、それに紫や黄色の花菖蒲、そして真っ白いマーガレットやクローバー、ハルジオンまで、ありとあらゆる花々が色とりどりに咲き乱れ、その美しさたるや‥。人の手が入らないことで、花々が咲くべきときに咲くことを謳歌しているように思えました。
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 しかし‥。ここは決して秘密の花園でも、鳥たちの楽園でもありません。あの大震災、そして原発事故で今も6000人あまりの全村民が避難を強いられている福島の飯館村の、誰も人のいなくなった、いわば捨て置かれざるを得ない状況にある山里なのです。当初、この辺りは原発から30キロ圏外ということで、もっと原発に近いところに住む人たちが多く避難して来ていました。しかし、風向きなどから、原発の30キロ圏内よりもむしろ、こちらの方が線量は遥かに高く、人が住める状況ではないことが分かったのです。今は一時に比べ、少しずつ線量は落ちているようですが、草を刈り、その下の土をはぐという除染作業はやってもやってもまた草が生えてきてとてもおっつくはずもなく、風が吹けば山林から放射性物質が飛んで来てまた線量が上がる繰り返しで、人々が村に帰れるめどは全くたっていません。そんな中でも季節は巡り、花や鳥や木々は生命の息吹をともし続けていることに希望を抱くと同時に、なんだか言いようもなく切ない、悲哀を感じざるを得ませんでした。
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 上の写真。花菖蒲の後方にあるカメラのようなものは放射線量を測定する装置です。こうした風景の中を、私も携帯の測定器の値を見ながらレンタカーを走らせました。昨年は場所によっては100〜200シーベルトなんていう“ホットスポット”もあちこちにあったようですが、今は多くても8〜9シーベルトぐらいでとりあえずは落ち着いていました。
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 それでも、ここから先は線量がまだまだ高く立ち入り禁止というところには機動隊の方などが警戒に当たっており、もちろん入ることはできません。
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 村には狭い道沿いに古くからの民家が点在していますが、どの家もきっちりとカーテンが閉ざされ、もちろん人の気配は全く感じられません。中には硝子窓いっぱいに殴り書きをしたような張り紙を貼っている家もありました。下の写真がそれです。一時帰宅されたときに書かれたものと思いますが、せいいっぱいのヤジを、ブラックジョークを張り出すことで、持って行き場のない怒りをぶつけるしかない、村民の気持ちを代弁しているように思いました。当事者の方々が現実に突きつけられている葛藤、逃れようのない苦しみを前にしては、部外者には何も言う言葉が見当たりません。誰も創造もしなかった大震災は起こってしまい、それによって引き起こされた原発事故は、そこに住む人たちの人生を根底から変えてしまいました。遠く離れた四国に住む私たちでさえ、震災ですべてが変わってしまったように感じるのに、ここで生きてきた人たちが乗り越えなけれなならない困難はどれほどのものか。ここの人たちにとって、震災が遠い日のことになることは決してないのだということを、恥ずかしながら、現地に行ってこの目で見ることで、あらためて痛感しました。
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         ◇                  ◇
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 原発があるのは上の写真の、ちょうど右上の雲の下辺りということです。そこからさらに車を走らせ、つい最近、立ち入り禁止が解除になったばかりという原発から20キロ圏内の南相馬市の海岸線にも行ってみました。
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 轟音をたてて砕け散る白波。遠くに台風があるせいかもしれませんが、土佐沖と同じ、太平洋だとは思えないほどの荒波でした。この海があの日、この原発近くの村にも大津波となって押し寄せたのです。
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 最近まで立ち入り禁止だったため、惨状はほぼ手つかずの状態で広がっています。
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 そして、こんな悲しい場所も。いつ供えられたのか簡素な花束とすぐ傍にはワンカップの空き瓶も。突如奪われた幾千もの尊い命‥。ここで最期を迎えた方の魂が心安らかに憩わんことを、残された家族ととこしえにともにあることを祈って、手を合わさせていただきました。
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 周辺はもともと湿地帯だったこともあってか、いまだに津波の水が引いていないと思われる地域もありました。今までさんざん映像や写真で見てきたけれど、実際に目にすると、この目の前の光景をなんと表現すればよいのか瞬間、言葉を失いました。あの日、テレビでライブで見て、まるで今まさに日本の地形が変動しているかのように感じたことがまざまざと思い出されました。むろん、忘れようにも忘れられない光景ですが、きょう、実際に見た、この現実の悲劇を一生忘れないように、目に焼き付けていようと思います。
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 最後に、あの日以来、運行を休止している常磐線。線路は草で埋もれています。簡単にはいかない難しい問題が山積しており、実現は難しいのかもしれませんが、やはり、いつの日か、福島の人たちに、以前の、平和な、普通の日常が戻ってくることを願わざるにはおれません。
 
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by hirotomo0301 | 2012-06-07 23:15

シュテンダーさんのオルガン

 東京のいいところは、やっぱり、高知ではなかなか聴いたり、観たりできないような芸術や文化に触れられるところ。最近、教会でたまにオルガンを弾くようになり、本格的?なレッスンも始めたばかりの私にとっては特に魅力的な催しが、すぐ近くの新宿文化センターでありました。
 「ドイツオルガン音楽の元祖 ブクステフーデの後継者」とされる、エルンスト・エーリヒ・シュテンダーさんのコンサート! ドイツでは「最高の音楽性を持ったオルガニスト」と称される素晴らしい方のようで、そんな方の生演奏を聴けるなんて、なんて幸運なのだろうとわくわくしながら行きました。
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新宿文化センターのパイプオルガンはなんとこーんなの↑↑ 壁面いっぱいに銀色の太いパイプが長いのと短いのと整然とそびえ立つように並んでいて、すごい!!としか言いようがありません。
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 一番下のオルガンの部分がまたすごい!
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 鍵盤が4つ、両脇には幾つものレバーが並んでいて、もちろん脚鍵盤も。シュテンダーさんはこのオルガンのすべてを駆使して、オーケストラの曲をこの一台で演奏されるのです。
 曲目は、かのベートーヴェンの「運命」の第5番に始まり、エルガーの「威風堂々」やドヴォルザークの「新世界」の第4楽章など。私は、高校時代には恥ずかしながら吹奏楽部でトロンボーンを超下手くそながら演奏していたこともあって、そのときにも、「威風堂々」や「新世界」はみんなで合奏した曲なので、聴いているうちに、今でも覚えているトロンボーンの手が動きそうになって、完全に音楽の世界に入り込んでしまいました。ブラスバンドや交響楽団でやるのももちろんいいけれど、それをパイプオルガン一台で弾くのがまたほんとに、なんとも言えず‥。金管の荘厳な音色が鳴り響いたかと思えば、木管の繊細などこかくぐもったような優しい音色を奏でるオルガンの響きに、体ごと引きずり込まれるようでした。それにしてもすごい楽器ですね。
 シュテンダーさんはもちろん交響曲だけでなく、バッハの「トッカータとフーガ」などおなじみのオルガンの名曲も弾いてくださいましたが、脚鍵盤のなめらかな脚使いや、オルガンならではの弾き方に、本物のオルガンはこういうふうに弾くのか‥と感じいりました。私には一生無理ですけど、本当にいいものを聴かせてもらいました。
 この日は、シュテンダーさんの演奏だけでなく、日本のオルガニスト、児玉麻里さんの作曲による「フランシスコ・ザビエルの足跡」という曲を、児玉さんのオルガンと箏と尺八のトリオで奏でる演奏や、高千穂神楽とオルガンのコラボレーションもあり、ほんとにどれも素晴らしくてしばらく余韻に浸っていました。キリストの教えを伝える聖なる楽器であるパイプオルガンと日本文化の融合という発想も素晴らしいと思います。フランシスコ・ザビエルの足跡を、オルガン音楽に、しかも箏と尺八のコラボの音楽にイメージするなんて、きっと、だれも考えつかないことじゃないかな。フランシスコ・ザビエルはもとより、デルちゃんも聴いたら喜ぶだろうなあと思いました。代わりに聴けてほんとに良かったです。
             ◇         ◇          ◇
 しかも、幸せなことに、次の日も同じシュテンダーさんのチャリティーコンサートが大妻女子大の講堂でなんと無料であることが分かり、もちろん再び会場へ。ここのパイプオルガンはこんなの↓↓
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 前日の新宿文化センターのオルガンは舞台の真横にあって、私は自由席だったんですが、すぐそばのいちばんよく見える席に陣取れてじっくりとシュテンダーさんの手足の動きなどを観られたんですが、大妻講堂のオルガンは舞台の真正面。今度は客席の真ん中辺りに座ってゆっくり音楽を耳で聴きました。曲目は同じ「威風堂々」にトッカータとフーガなどでしたが、やっぱり微妙に音の響きが違うかなあ‥。まだまだそこまでよく聴きわけられないのが本音ですが、オルガンは一台一台違っていて、一つとして同じ響きのものはないのがほかの楽器とは違うところ。オルガニストの端くれ?(超えらそう‥)としては、早くその違いが聴き分けられるくらいになりたいです。
 最後に、気軽に写真撮影にも応じてくれたシュテンダーさんとのツーショットを。わたくしの見苦しい顔をお見せするのは本意ではないのですが‥。
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 背の高さがすごいでしょう?シュテンダーさん、軽く190㌢はあるんじゃないでしょうか。それで、あの繊細なオルガンの鍵盤を自在に操れるのは本当に驚きです! それにしても、オルガンはCDじゃなくて生で聴くもの。去年、ヨーロッパでいっぱいすごいパイプオルガンを目にしたけれど、もとよく観て聴いていれば良かったなあ‥と後悔するこのごろです。東京にいる間、せいいっぱい、高知では聴けない文化や講演に接して、いっぱい吸収して帰りたいと思っています。人気ブログランキングへ
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by hirotomo0301 | 2012-05-27 23:46

5月の東京散歩

 先週からまたまた東京に来ています。
 娘の様子見がてら、気分転換がてら‥。
 先週は両親も来て結婚45周年の東京旅行を満喫した模様。お陰さまで、私も生まれて初めて大相撲を生で観ました!!翌日は娘も一緒にはとバスに乗り、ちょうど三社祭で大変なにぎわいだった浅草で、私たちだけ、ほかの乗客のみなさんとはぐれてしまったり‥。いろいろと疲れましたが、まあ一生忘れられない良い思い出になったかな。両親が冥土の土産にしてくれるとありがたいです;;(ジョーク、ジョーク)
 ではではここで想い出の写真を。
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↑本当に満員御礼だった大相撲。
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↑遠くにスカイツリーをのぞんで。両国国技館前に立つ老いた両親(お母さん、変な顔のでごめん)。
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↑浅草のシンボル?の猫。
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↑三社祭のすごい人並み。バスガイドさんの黄色い旗なんて見えるはずもなく‥
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↑六本木ヒルズから見た、夜の東京タワー。やっぱりきれい。
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↑そんなこんなで両親は仲良く帰っていきました‥‥。

           ◇         ◇        ◇
 
 それからの日々は、毎日時間があれば散歩。もう巨大商業施設に行くのはだいぶん飽き飽きしてきたので、オープンしたばかりのスカイツリーに行くこともなく、もっぱら都会の中に自然を求めて歩いています。なかなか、東京にも人工的でなく、そのままの自然が残っているところはあるのですね。大きな沼のような池があるけれど、「釣はだめ」な公園へ、元気よく釣り竿を持って遊びに来ている男の子たちを見てちょっとほっとしました。そんな石神井公園の写真を幾つか。
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↑保護色に隠れて見えにくいけれど、かるがもの親子も日光浴していました。
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 石神井公園のすぐ近くには、あの、佐川出身の牧野富太郎博士が亡くなるまで暮らしていたお家があり、記念館になっていました。高知の牧野植物園とはもちろん、敷地も植物の種類も規模が違いますけど、博士が実際に住まわれていたお家もそのままあって、博士の生誕120周年の年にここを訪ねることができたことに、実は牧野博士ファンとして感慨深いものがありました。
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 最後に、5月といえば、なんといっても薔薇の美しい季節。駒込の旧古河庭園というところで開かれていた薔薇展の写真をお届けします。
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 私はあまり大ぶりの赤い薔薇よりも、小さくて白い薔薇や薄いピンクの薔薇が好きだけれど、黄色いのも朱色がかったのも、やっぱりどの薔薇もきれい。写真から、甘くて気高いローズの香りが匂ってくるといいんですけどね‥。ではではきょうはこのへんで。
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by hirotomo0301 | 2012-05-24 23:30

21年間続けた一地方紙の記者の仕事から足を洗い、2カ月半の世界13カ国周遊1人旅から帰ってはや半年。過去の日々を振り返りつつ、次の一歩を模索していきます。


by hirotomo0301
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